貨幣と資本(第6回):第4章 金利とは何か?
一言で言えば、金利とは、金融資産が一会計期間中に生み出すキャッシュ・フローをいう。ちなみに、会計上、上場企業は財務諸表等規則(金融商品取引法の関連政令)等で財務諸表の一つとしてキャッシュ・フロー計算書の作成・開示が義務付けられている。そして、ここでいう「キャッシュ」とは、現金及び現金同等物を意味する。会計実務上、現金及び現金同等物は、以下のように定義されている。
現金(cash): 手許現金(日銀券+硬貨)+要求払預金(預金通貨)
現金同等物(cash equivalents): 期間3ヶ月以内の定期預金、CD(譲渡性預金:certificate deposit)、CP(commercial paper)等
上記の定義を見てすぐにおわかりの通り、「現金」はマネーストックのM1と全く同じであり、「現金同等物」はM3の準通貨(定期預金等)とCD(譲渡性預金)が重なり合っている。従って、現金及び現金同等物から構成される会計実務上の「キャッシュ」という概念は、ほぼマネーストック(M3)と一致するものといえる。
マネーストック(M3)を構成する日銀券、預金通貨、準通貨(定期預金等)及びCD(譲渡性預金)のうち、金利ゼロの日銀券を除き、預金通貨、準通貨(定期預金等)及びCD(譲渡性預金)の預金金利は同じくマネーストックの構成要素となるから、銀行の預金金利はマネーストックの増加要因となる。
金利は、銀行の損益計算書上の業務純益の水準にも影響を及ぼす。市場金利が上昇する場合、これに伴い預金金利を引き上げると、銀行の資産保有コストも上昇し、業務純益は減少する。その一方で、金利上昇局面で銀行が新たな貸出を量的に増やすことでマネーストックを増やすと共に、貸出金利の引き上げにより業務純益を増やすこともできる。これらは、預金取扱機関、すなわち銀行の特殊なビジネス・モデルに起因する。
しかし、既に述べたように、金利があるからといって何のコストもなくマネーが自己増殖する訳ではない。確かに銀行預金の場合、預金通帳に記載される受取利息も預金通貨であるから、マネーストックもその分、増加する。しかし、預金金利の場合、銀行はマネーストックの増加分=金利と同額のコストを自己資本の取り崩しにより負担しなければならないので、当然、銀行の自己資本金額が預金金利によるマネーストック増加額の上限となるのである。
4-1. 金利とは、資本(所得)移転としての資本取引である以上、国民所得(Y)には影響を与えない
金利とは、損益取引ではなく、資本取引である
銀行業の損益計算書の構造は、事業会社等、他の業種とは全く異なっている。まず、銀行業以外の通常の事業会社の損益計算書では、トップラインに「売上高」が記載される。それ以降は次のような計算構造となる。
①「売上高(収益)」
②「売上原価(仕入等の費用)」
③「粗利(売上総利益)」(①-②)
④「販売費及び一般管理費(人件費、物件費、経費等の費用)」
⑤「営業利益」(③-④)
かかる収益(revenue)及び費用(cost)から構成される取引を損益取引と呼ぶ。損益取引から生み出されるのが、利益(profit)であり、所得(income)である。会計基準としても、日本基準では損益計算書と呼ばれるものが、米国基準では所得計算書(Income statement)と呼ばれている。
これに対して、銀行業の損益計算書においては、以下の計算構造となる。
①「資金運用収支(預金、貸出金、有価証券等の利息収支)」=「資金運用収益」-「資金調達費用」
②「役務取引等収支(各種手数料等の収支)」=「役務取引等収益」-「役務取引等費用」
③「特定取引収支(金利等の短期的な変動等を利用して得た収支)」=「特定取引収益」-「特定取引費用」
④「その他業務収支(債券や外国為替等の売買損益)」=「その他業務収益」-「その他業務費用」
⑤業務粗利益(①+②+③+④)
⑥一般貸倒引当金繰入額
⑦経費(人件費、物件費、税金等)
⑧業務純益(⑤-⑥-⑦)
ここからも理解できるように、銀行業における最大の収益源は、①「資金運用収支(預金、貸出金、有価証券等の利息収支)」=「資金運用収益」-「資金調達費用」である。なお、右辺にある「資金運用収益」とは、主に稼働債権からもたらされる利息収入を意味する一方、「資金調達費用」とは、主に預金者に対する支払利息を意味する。特に「資金調達費用」は、稼働債権、不稼働債権(不良債権)のいずれかを問わず発生することから、資産(この場合は債権)の「保有コスト」と呼ばれることもある。
一見すると、「損益計算書」、「資金運用収益」及び「資金調達費用」という用語から、銀行業以外の事業会社と同様、損益取引から「業務純益」が生み出されているように誤解される向きもあるかも知れない。しかし、「資金運用収益」及び「資金調達費用」という用語が使われているにもかかわらず、いずれも金利という形態での一方の会計主体から他方の会計主体への資本または所得の移転である。従って、金利とは、会計理論上、損益取引ではなく、資本(または所得)移転としての資本取引である。
金利変動は、国民所得(Y)に影響を与えない
これをマクロ経済学における一国経済全体で見れば、SNA上、事業会社や個人事業主の銀行等金融機関への支払金利は、銀行等金融機関の3-1.所得支出勘定(第1次所得の配分勘定)の「財産所得」の内訳である「利子」として記録・表示される。経済的実態としては、一国経済全体における国民所得(Y)→貯蓄(S)→資本蓄積(ΔK)の中から、借入(Debt finance)をした事業会社や個人事業主から銀行に対する資本(または所得)の移転を意味する。従って、SNA上、金利とは、利益(profit)や所得(income)を生み出す2.国内総生産勘定で記録・表示される損益取引ではなく、3-1.所得支出勘定(第1次所得の配分勘定)で記録・表示される資本(または所得)の移転としての資本取引であることが理解できよう。これを一国経済全体で見れば、金利は単なる資本(または所得)の移転に過ぎない以上、「金利の存在によって、国民所得(Y)が変動することはない」のである。[1]
この点に関連して、実物的景気循環(RBC)モデルにおける代表的個人の下記の消費関数について、「現在の貯蓄(St)から将来の消費(Ct+1)への異時点間の代替であるから、オイラー方程式に従い、利子率rで「Ct+1=(1+r)St」とすべき」と考える向きもある。
将来の消費(Ct+1)=現在の貯蓄(St)=現在の国民所得(Yt)-現在の消費(Ct)
しかし、t+1期に貯蓄に対する金利rStが付されるのであれば、t+1期には必ずその所得(または資本)から金利rStを支払った経済主体が存在する。従って、一国経済全体で見れば、t+1期に国民所得(Y)が金利rSt分増大する訳ではなく、それと逆向きの所得(または資本)の移転である資本取引が発生する以上、t+1期の国民所得(Y)は不変である。
また、銀行が預金残高に対して預金金利を付す場合、金利分のマネーストックは増大するが、それと同額で銀行の所得(または資本)が減少する。従って、上記と同様、一国経済全体で見れば、国民所得(Y)が金利分増大する訳ではなく、不変である。
「金利の存在によって、国民所得(Y)が変動することはない」というSNAの会計恒等式から導かれる論理的帰結は、今後、中央銀行の金融政策、特に金利政策のあり方に大きな影響をもたらすだろう。
旧来のマクロ経済学のパラダイムの枠内では、貨幣(資本・債券)市場において、貨幣の需要量(流動性選好)と貨幣の供給量との均衡点において、均衡「価格」としての利子率が決定されるものと解釈されてきた。そして、均衡「価格」としての利子率、すなわち中央銀行が決定する政策金利の上げ下げによって、貨幣の需要量(流動性選好)と貨幣の供給量の調整を図ることが可能であり、それこそが中央銀行によるメインの金融政策(金利政策)だと考えられてきたのである。
従って、例えば、従来、総供給に対して総需要が不足すると考えられる場合、政策金利を引き下げることにより、資金を借り入れる事業会社や個人事業主の金利負担を抑え、総需要を拡大させて景気を刺激しようとした。これとは逆に、総需要が総供給を上回り、景気が加熱してインフレ気味になった場合には、政策金利を引き上げて総需要を抑制することによりインフレを沈静化させようとした。これらはいずれも中央銀行が決定する政策金利が貨幣(資本・債券)市場における均衡「価格」であると考えた上で、貨幣の需要量(流動性選好)と総需要とを同一視し、また貨幣の供給量と総供給とを同一視したことに起因する。
しかし、SNAの会計恒等式から導かれる「金利の存在によって、国民所得(Y)が変動することはない」という論理的帰結を更に推し進めるならば、総需要から中間投入を控除して得られる国内総生産(GDP)、そして国内総生産(GDP)から固定資本減耗を控除して得られる国民所得(Y)に対して、中央銀行による政策金利の上げ下げという金融政策(金利政策)は、何らの影響も効果も持たないことを意味する。
実際、1999年2月から20年以上、日銀が実施するゼロ金利政策によっては、総需要、国内総生産(GDP)、そして国民所得(Y)を増大させることはできなかった。その最大の原因は、『貨幣(資本・債券)市場において、貨幣の需要量(流動性選好)と貨幣の供給量の均衡点において、均衡「価格」としての利子率が決定される』という旧来のマクロ経済学のパラダイムが間違っていたことにあるのではないか。金利とは、総需要や国民所得(Y)に影響を与える損益取引ではなく、あくまでも資本(または所得)の移転としての資本取引だからである
ちなみに、米国の連邦準備制度理事会(FRB: Federal Reserve Board)は、1977年連邦準備改革法(Federal Reserve Reform Act of 1977)によって定められた「最大限の雇用(maximum employment)と物価安定(stable prices)」という二つの使命(Dual mandate)を負っている。しかし、SNAの会計恒等式から導かれる「金利の存在によって、国民所得(Y)が変動することはない」という論理的帰結に従うならば、雇用水準に直接の影響を与える総需要や国民所得(Y)水準に対して中央銀行の金融政策(金利政策)が無力である以上、いくら法律に明記しても「最大限の雇用(maximum employment)」を実現することは不可能である。
4-2. 資産価格は金利(割引率)で決まる
一般物価と資産価格
「物価」というのは読んで字の如く「モノの価格」を意味するが、経済学上は「一般物価」と「資産価格」とを区別する。そしてこの区別は極めて重要である。
一般物価
一般物価とは、一般の財・サービスの価格水準を意味する。具体的には、SNA上、1会計期間中に生産される一般の財・サービスの売買取引、すなわち2.国内総生産勘定で記録・表示される買手による総需要と売手による総供給が一致する均衡価格の水準をいう。
資産価格
これに対して、資産価格とは、地価や株価等、当該会計期間以前から存在する資産(土地・生産資産、株式等)について、買手と売手との間で成立すると想定される取引価格をいう。実際に売買取引がなされるか否かは問われない。
資産の売買取引の場合、SNA上、売買取引の対象となる資産の所有権が売手から買手に移転するのみである。従って、当該資産に関する売手の(過去の)取得原価と(当期中の)売却価格との差額である譲渡損益が発生したとしても、4.調整勘定における「非金融資産の再評価差額」または「金融資産の再評価差額」として譲渡損益が記録・表示されるのみであり、2.国内総生産勘定における総需要やGDP、更に3-1.所得支出勘定における国民所得(Y)に対する影響は一切ないことに留意が必要である。
資産価格は、将来キャッシュ・インフローと割引率(金利)で決まる
端的に言えば、金利は、リスク資産の生み出す将来キャッシュ・インフローから当該通貨建の資産価格(現在価値)を計算するための割引率である。ここでリスク資産とは、一定以上の利回り(リターン)が見込める代わり、元本割れや支払利息の遅延のリスクを伴う資産全般を意味する。また割引率とは、将来受け取るキャッシュを現在価値に割り引く(換算する)ときの割合を、1年あたりの割合で示したものをいう。
本来的には、日銀または銀行の貸出金利は、金融システムの外部者(事業会社・個人・政府等)に対する金融資産(投融資)のリスクに応じて決定されるべきものである。資産のリスクと利回り(リターン)は対応すべきなので、元本割れや支払利息の遅延のリスクが高ければ、貸出金利によって発生する利回り(リターン)もリスクに応じて高くなる。
【補論】一般物価は、総需要と総供給で決まる
SNAの2.国内総生産勘定における「総需要(=総供給)」とは、一国経済全体での「売上高」の合計額を意味する。売手側から見れば総供給であり、買手側から見れば総需要である。そして、総供給と総需要の一致する均衡価格で売買取引が成立する。
会計上、「売上高」については、「売上高(Sales)」=「販売価格(P: Price)」×「販売数量(Q: Quantity)」という恒等式が常に成立する。従って、SNA上の「一般物価」とは、一国経済全体で1年間に生産・販売される財・サービスの「販売価格(P: Price)」の水準を意味するのである。
ここで注意が必要なのは、SNAにおける「総需要(=総供給)」、すなわち一国経済全体での「売上高」の合計額には、土地・建物等の不動産取引や、株式や債券等の有価証券に関する資産取引は含まれないということである。なぜなら、資産取引の場合、単に資産の所有権が等価交換で移転するだけであって、「売上高」-「売上原価」=「粗利(売上総利益)」という付加価値生産サイクル(営業サイクル)の枠外にあるからである。従って、「総需要(=総供給)」を構成する財・サービスの「販売価格(P: Price)」、すなわち「一般物価」には、地価や株価等の「資産価格」は含まれないことに留意が必要である。
日本銀行法は、「通貨及び金融の調節の理念」として、「物価の安定」、言い換えればマネーの価値、購買力の安定を図ることを掲げている。
【日本銀行法第2条】
日本銀行は、通貨及び金融の調節を行うに当たっては、物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資することをもって、その理念とする。
ここでいう「物価」とは、「一般物価」を意味し、「資産価格」は含まれないものと解釈されている。実際、日銀では、毎月、総務省統計局が作成・公表する「消費者物価指数(CPI: Consumer Price Index)」という「一般物価」をターゲットとする金融政策を実施している。具体的には、2013年1月から「物価安定目標」として、消費者物価指数(CPI)の前年比上昇率2%を掲げているが、8年以上経過した現時点(2021年7月現在)でも達成できていないのは、日本国民なら誰でも知っていることだろう。
先述の通り、SNAにおける「総需要(=総供給)」とは、一国経済全体での「売上高」の合計額を意味する。一国経済全体での財・サービスの取引は、「総需要」と「総供給」が一致する均衡点でなされる。
「総需要」=「総供給」
「総需要」=「売上高」=「販売価格(P)」×「販売数量(Q)」
「総供給」=「中間投入」+「GDP(国内総生産)」=「売上原価」+「粗利(売上総利益)」
ここから「一般物価」=「販売価格(P)」を解くと、以下の恒等式が導かれる。
「一般物価」=「販売価格(P)」=「総需要」/「販売数量(Q)」=「総供給」/「販売数量(Q)」=(「中間投入」+「GDP(国内総生産)」)/「販売数量(Q)」
上記の恒等式には、マネーストックも、マネタリーベースも、一切出てこない。結局、「一般物価」を決定する要素は、一国経済全体における「総需要(売上高)」=「総供給(中間投入+GDP)」の金額と、1期間中の財・サービスの取引量「販売数量(Q)」だけなのだ。
ところで、日銀の政策手段は、大きく分けて2つある。一つは、貸出金利(公定歩合)の上げ下げによる金利面での操作であり、もう一つは金融調節(オペレーション)によるマネタリーベースの量的な操作である。日銀は、貸出金利(公定歩合)の上げ下げによる金利面での操作によって資産価格に影響を及ぼすことはできるが、そもそも「総需要(売上高)」や「総供給(中間投入+GDP)」に対し、直接的な影響を及ぼすことはできない。むしろ政府の財政政策の方が「総需要(売上高)」の構成要素である「政府最終消費支出」や「総固定資本形成」を裁量的に増減させることによって、「一般物価」に直接的な影響を及ぼすことができるのである。
4-3. 外国為替相場への影響
かつて金本位制の下では、中央銀行の最終的な支払準備としての金地金の海外からの流入を促すために金利を引き上げる必要があった。中央銀行の預金金利を引き上げることによって海外からの金地金の流入を増やすという形で最終的な銀行支払準備(Banking Reserve)を増やし、またそれによってマネタリーベースとマネーストックを増やすためである。
管理通貨制度に移行した現在では、海外との金利の高低差によって、海外からの金地金の流入または海外への金地金の流出が発生する訳ではない。
しかし、外国為替市場において、金利の高い国の通貨が買われる一方、金利の低い国の通貨が売られる傾向があるので、通常、金利の高い国は通貨高となる一方、金利の低い国は通貨安となる。
但し、外国為替市場自体は、本来、他国通貨と自国通貨とのスワップ(交換)のための市場であるから、いずれの国の通貨供給量(マネーストック)にも直接の影響は及ばない。唯一、外国為替市場で政府・中央銀行が為替介入を実施し、他国通貨を政府・中央銀行の「外貨準備」に組み込んだ場合のみ、例えば、我が国の例でいえば、外国為替資金特別会計の発行する政府短期証券または日銀の発行するマネタリーベース(銀行券および当座預金)、そしてマネーストックとして発行・流通する。
4-4. 金利が生み出す資本主義のダイナミズム
事業会社が銀行借入によって投資を行い、付加価値生産サイクル上の活動を行う場合、当該事業会社の獲得する粗利(売上総利益)の水準がどうであれ、銀行との約定に基づく金利(支払利息)を銀行に支払わなければならない。仮に金利(支払利息)100を支払う場合、これを複式仕訳で示すと、以下の通りである。
【事業会社】
(借方)利益剰余金(支払利息)100
(貸方)預金通貨(現金及び預金)100
【銀行】
(借方)預金通貨(現金及び預金)100
(貸方)利益剰余金(受取利息)100
このとき上記の仕訳例では、事業会社の資本(利益剰余金)が100減少する一方、銀行の資本(利益剰余金)が100増加する。従って、一国経済全体で見れば、これは事業会社から銀行への資本の移転を意味する。それと同時に、下段の銀行の複式仕訳では、預金通貨が100減少することも示している。従って、これはマネーストック増殖額(ΔM)がマイナス100であることを意味する。
逆に言えば、上記の仕訳例において事業会社が当該期間中に付加価値生産サイクルを通じて100以上の利益剰余金、言い換えれば実物的(リアル)な実体的資本蓄積(ΔKs)を獲得できなければ、当該事業会社の資本(K)ストックは減少を免れない。同時に、銀行の側においても、別途、貸付金(金融資産)を増やすことにより、100以上のマネーストック増殖額(ΔM)の増加額がなければ、一国経済全体のマネーストック(M)も減少を免れないことになる。
このように金利(支払利息)以上の実体的資本蓄積(ΔKs)やマネーストック増殖額(ΔM)が常に要求されることこそ、資本主義のダイナミズムともいえる。他方、資本(K)ストックは「情報」システム等の無体財産権を含み、またマネーストック(M)も金融システムの負債(債務の記録)としての「情報」である。その意味では、資本主義における実体的資本蓄積(ΔKs)にしてもマネーストック増殖額(ΔM)にしても、今や物理的な上限すら存在しない。資本主義が無限の欲望のシステムとも称される所以である。
資本主義は人類が生み出した偉大な社会システムであるが、これを全ての人類の幸せのために発展させるためにも、我々はまずマネーストック(M)、資本(K)ストック、そして国民所得(Y)の増殖のメカニズムを正確に理解しなければならない。そしてそれは、複式簿記における貸借一致という厳密なロジックによってのみ可能となる。
4-5. 貨幣の流通速度への影響
金利は、マネーストック(貸方)の裏側にある金融システムの外部に対するリスク資産(貸方)が生み出すキャッシュ・フローの金額を大きく左右し、貨幣の流通速度に影響を及ぼす。
伝統的な経済学における貨幣数量説の経済モデルの一つとして、アーヴィング・フィッシャー(Irving Fisher)の交換方程式(Fisher's equation of exchange)というものがある。
貨幣数量説の論者は、これらのうちV(流通速度)とT(取引量)はほとんど変動しないと想定できることから、M(マネーストック)とP(一般物価)は常に比例すると主張した。
貨幣数量説の当否は別として、金利は貨幣の流通速度Vに大きな影響を与える。銀行の貸付金に貸出金利を乗じた借手の支払利息が銀行に移転する他、銀行預金に預金金利を乗じた金額が受取利息として預金者に移転する。現在、預金金利はほぼゼロ%近くにまで低下しているので、貨幣の流通速度Vは極端に低下した状態にあるものと推察される。
実は、日銀の異次元緩和を支持した論者は、この貨幣数量説の交換方程式を正しく理解していなかったのではないか。まず、Mは市中に流通する貨幣の総量であるから、当然、マネーストックを意味するはずだが、異次元緩和の支持者は単なる日銀の貸借対照表上の負債に過ぎないマネタリーベースを拡大すれば、それと比例的に一般物価も上昇すると早合点した疑いが濃い。また、Pの物価水準にしても、Tの取引量にしても、単にGDPの測定の対象である財・サービスの一般物価と1期間におけるその取引量だけではなく、実際には、有価証券(株式・債券等)や不動産(土地・建物等)といった資産価格と取引量にも決済上はキャッシュ(≒マネーストック)が用いられるのだが、そのことを考慮した形跡がない。なぜなら、異次元緩和の論者は財・サービスの一般物価の2%引き上げを目標に掲げる一方で、資産価格や資産取引には全く言及していないからである。
4-6. マネーストックへの間接的影響
ややテクニカルだが、金利は、日銀または銀行が保有する円建のリスク資産(国債、有価証券等)の現在価値に影響を与えることを通じて、間接的にマネーストックに影響を及ぼすこともある。
金利と債券価格の間には、金利上昇=債券価格下落、金利下落=債券価格上昇という関係がある。具体的には、例えば年利3%平価発行の外国為替$1=100円の場合、市場金利が5%に上昇した場合、外国為替$1=98円に債券価格が下落し、日本円の側から見れば円高になる。
同様に、金利上昇によりリスク資産の価格が下落し、貸倒引当金繰入額のコストが発生する場合、これに対応するマネーストックが減少する。実際には、貸倒引当金繰入額はキャッシュの流出を伴わないコストであるから、その分のキャッシュで銀行は自行発行のCD(譲渡性預金)を買入消却することでマネーストックを減少させるのである。
[1] 1993年にSNAが改訂された際、実際には金融機関が提供する貸出・預金サービスには明示的な取引価格が存在しないにもかかわらず、「間接的に計測される金融仲介サービス(FISIM: Financial Intermediation Services Indirectly Measured)」の存在を擬制することにより、政府部門と家計部門に対する貸出・預金サービスの産み出す粗利(付加価値)を仮定計算し、これを金融機関の営業余剰として位置付ける考え方が示された。金融業が主要産業ともいえるイギリスが少しでもGDPを大きく見せたいという政治的思惑で主張したとされる。しかし、会計理論上は、GDPの二重計上に当たるのではないかとの指摘もあり、現在もなお決着のついていない論点となっている。