マクロ経済学における因果関係について<ミクロ経済学との違い>
1.心理歴史学
心理歴史学(Psychohistory)とは、I. アシモフのSF小説「銀河帝国興亡史」ファウンデーション・シリーズに登場する架空の学問分野である。アシモフが統計力学(気体分子運動論)から着想を得て、①個人ではなく膨大な人数(アボガドロ数:6×10^23)の集団を分析対象として、②個人は分子の如くランダムに行動すると仮定した場合、個人を分子に、集団を気体に置き換えることによって、統計力学における確率分布の統計量として集団行動の未来予測を可能とする心理歴史学を物語の中心に置いている。
個々の分子の運動は、ニュートン力学上、初期条件である分子の特性(原因としての位置・速度)が与えられれば、その後の原因→結果という一方的な因果関係(結果としての位置・速度)が運動方程式によって記述される。
これに対して統計力学においては、分子の集団(アボガドロ数:6×10^23)である気体の特性(圧力・温度・エネルギー)は、確率分布等の統計量(期待値・分散・標準偏差等)として記述される。
アシモフは、個人の特性(社会における位置と役割)は千差万別であるから、原因→結果という一方的な因果関係として実現する個人行動の未来予測は不可能であるが、膨大な人数(アボガドロ数:6×10^23)の集団であれば、統計力学を応用して集団行動の未来予測が可能になると考えたのである。
このように心理歴史学はフィクションの産物ではあるが、その着想は個々の個人・企業の行動を対象とするミクロ経済学にとどまらず、一国経済全体における制度部門(政府、中央銀行、金融機関、家計、事業会社、海外部門)間の取引・事象を対象とするマクロ経済学にも多大なる示唆を与えるものである。
2.ミクロ経済学のフレームワーク
ミクロ経済学においては、効用最大化を目的とする個人と利潤最大化を目的とする企業が商品(財・サービス)の市場に取引主体として参加する。そして、市場の需要・供給モデルの均衡点において、商品(財・サービス)の価格と数量が決定されると考える。
商品(財・サービス)の価格に応じて効用最大化を図る個人の需要関数、同じく商品(財・サービス)の価格に応じて利潤最大化を図る企業の供給関数の均衡点を探る過程においては、初期条件(原因)として個人の需要関数と企業の供給関数が与えられることによって、均衡価格と均衡数量という結果が計算可能となる。従って、ミクロ経済学のフレームワークとしては、原因→結果という一方的な因果関係の存在が前提とされているといえる。
ところが、現実には、唯一または主たる原因→結果という因果関係と、複数または他の主たる原因→同じ結果を生む相関関係との違いを見分けることは非常に困難である。伊藤公一朗「データ分析の力 因果関係に迫る思考法」によれば、『XとYに相関関係があることがわかっても、その結果を用いて因果関係があるとは言えない』3つのケースが挙げられている。
XがYに影響を与えている可能性
YがXに影響を与えている可能性(逆の因果関係)
V(XまたはY以外の別の原因)がXとYの両方に影響を与えている可能性
例えば、アイスクリームの売上(X)が増加したときに、海水浴での溺死者(Y)も増加したならば、普通に考えれば気温の上昇(V)という、XまたはY以外の別の原因があったと考えるだろう(③のケース)。しかし、かかるXとYとの相関関係をX→Yという一方的な因果関係と誤認した場合、海水浴での溺死者(Y)の数を減らすためにアイスクリームの売上(X)を抑制しようという対策が練られることになる。
従って、ミクロ経済学においては、因果関係と相関関係との区別が重要になってくるのである。
3.マクロ経済学のフレームワーク
これに対してマクロ経済学の場合、分析対象が一国経済を構成する集団(制度部門)であって、その集団行動の未来予測を行うという意味においてはむしろ統計力学に似ているともいえる。
しかし、自らの意思を持たない分子の集団の運動と、自由意思を持って売手または買手となる取引主体(政府、中央銀行、金融機関、家計、事業会社、海外部門といった制度部門)の行動とを同一視することはできない。実際、各制度部門を取引主体とするマクロ変数は、確率分布等の統計量ではなく、SNAに準拠した複式簿記によって記述されている。
複式簿記では、数学的な意味での会計恒等式が成立する。例えば、マクロ経済学上の代表的な会計恒等式には以下のようなものがある。
上記会計恒等式においては、借方(左辺)と貸方(右辺)を常に一致させるよう変動する残高調整項目(BI: Balancing Items)が存在する。例えば、GDP、営業余剰、国民所得、貯蓄、純貸付/純借入、そして資本(国富)といった勘定科目がこれに当たる。
他方、消費、投資(在庫変動を含む)、経常収支(=貿易収支+経常移転収支)、その他分配に関するマクロ変数(固定資本減耗、雇用者報酬等)等、残高調整項目以外で直接観測可能かつ金額化可能なマクロ変数を観測可能変数(OV: Observable Variables)と呼ぶ。
一つひとつの取引または会計事象が発生する都度、フロー(消費、投資等)の取引額や一国経済全体のストック(資産・負債)の残高である観測可能変数が変動し、それと同時に残高調整項目(GDP、国民所得、貯蓄、純貸付/純借入、資本等)も借方(左辺)と貸方(右辺)の金額を一致させつつ変動し、全ての会計恒等式が常に必ず成立する複式仕訳が発生する。
このように会計恒等式においては、借方(左辺)と貸方(右辺)を構成する項となるマクロ変数は数学的に常に同時決定される。その意味では、マクロ変数のいずれもが双方向的な因果関係、すなわち互いが互いの原因であり結果でもある「Reflexive(再帰的/相互作用的)」な関係が成立しているともいえる。
言い換えれば、一方向的な因果関係とそうではない相関関係の区別が重要となるミクロ経済学とは異なり、マクロ経済学においてはあらゆるマクロ変数間で再帰的・双方向的な関係が常に成立している。従って、政府・中央銀行の実施するマクロ経済政策の影響についても会計恒等式から正確な将来予測することが可能である。
例えば、政府の財政政策の手段として、観測可能変数である政府最終消費支出、公的固定資本形成を裁量的に操作することによって、マクロ変数間の再帰的・双方向的な関係を示す会計恒等式を通じて、総需要、名目GDP、国民所得等の残高調整項目に対して与える影響を1億円単位で正確に予測することができる。
あるいは日銀の金融政策として、観測可能変数である日銀保有金融資産残高を裁量的に増加させる異次元緩和政策を実施した場合、関連する残高調整項目であるマネタリーベース(日銀当座預金)への影響をそれこそ1円単位で予測できたとしても、それとは別の会計恒等式で決定されるマネーストック、ひいては一般物価に対して影響を及ぼすことはできないことも予測可能である。
4.政府支出を増やせば経済成長するのか?
2023年1月に公開されたAbema Prime「【経済学者】成田悠輔&池戸万作が熱論!日本なぜ成長できない?」が話題を呼んだ(1/16現在で128万回視聴)。
議論の中心となったのは、縦軸に名目経済成長率、横軸に政府総支出増加率として各国の位置を重回帰分析したグラフである。動画では池戸万作氏作成のグラフが提示されていたが、ここでは島倉原(㈱クレディセゾン主任研究員・経済評論家)氏作成によるグラフ(縦軸に経済成長率、横軸に財政支出伸び率)を引用させていただく。
データ・アルゴリズム等を専門分野とする成田悠輔氏は、同グラフについて以下のように述べている。
これらの発言から推測すると、①同グラフは因果関係ではなく、相関関係を示しているに過ぎない、②いくら政府がお金を刷って配ったとしても、総供給を増やさなければ経済成長しない、③政府がお金を刷って配ることによってハイパーインフレが起きてしまえば、実質GDPが成長するとはいえない、といったことではないか。
これに対してMMT信奉者でもある池戸万作氏は後日自身のツイッターでこう述べている。
確かに会計恒等式に従い、政府支出の増加は名目GDPの増加をもたらすといえる。但し、名目GDPに影響を与えるのは、当然のことながら政府支出だけではない。また、池戸万作氏が政府の通貨発行権に基づく政府支出を強調したため、インフレ率に論点が拡散し、実質GDPを重視する成田悠輔氏と名目GDPのみを語った池戸万作氏の話が噛み合わなくなったようにも見える。
5.結論
同じ経済学という括りではあるが、需要・供給モデルを基礎とするミクロ経済学のフレームワークと、会計恒等式を基礎とするマクロ経済学のフレームワークとは、その違いを意識して議論すべきである。
その意味では、代表的個人というミクロ的基礎を重視する実物的景気循環(RBC: Real Business Cycle)モデルや動学的確率一般均衡(DSGE: Dynamic Stochastic General Equilibrium)モデルといった現代マクロ経済学は、現実との乖離を認識し、そのフレームワーク自体を見直すべき時期に来ている。今後、会計恒等式を基礎とする社会会計フレームワークを中心としたマクロ経済学の新たな展開に期待したい。