好きなことは、練習ではない
水車のある近所の公園で釣ったザリガニ。
名前は「ざりと」。
一週間ほど、わが家にステイ。
興味関心の移りが速い長男には、「生き物を飼う」というのは、まだ難しい。
家族みんなで水を変えたり、餌をあげたり、楽しんだので、川に戻して上げました。
最後は、意外とあっさりお別れで、こちらは拍子抜け(笑
その公園での出来事。
どこからか聴こえてくる笛の音。
おじさんが、橋の下で篠笛を練習中でした。
「よんでいる〜、むね〜のどこ〜か、お〜くで〜♪」と、息子たちも知っている曲に興味深々。
大きな橋に、音が反響して、音が重なって降ってくるような感じ。
あんまりうまくはないけれど、夕焼け空を背景になんだか味わいのある演奏。
帰りの車で、
「あのおじさん、いいところで練習してたね〜」
と呟くと、
「ちがうよ!れんしゅうじゃないよ。あのおじさんは、すきでやってるんだから」
と、長男。
そのときは、サラッと流れた会話でしたが、あとからズッシリと来た。
好きでやっていることは、練習ではない
これ、すごく大事なこと。
自らの興味と欲求から、自発的にやる活動 = あそび
とするならば、好きでやってることは、練習ではない。
自分の幼小期を思い返してみると、
練習だったもの:ピアノ、勉強の類、運動会、劇発表会、音楽祭etc
練習と感じていなかったもの:リコーダー、コマ回し、サッカー、三国志の登場人物を覚える、将棋、お菓子づくり、英語の習い事etc
漢字の練習は嫌だったけれど、ファミコンの算数の足し算のゴルフゲームは時間を忘れて取り組んだ。
「あそび」以上に、それを上手になる方法はないと思うのです。
いつからか、「練習」しなければいけないと思って取り組む活動が増えてくる。練習の全部を否定するわけではないけれど、特に幼児期には「特訓」的なものは必要ないと思うのです。
幼児期の習い事は、世の親たちが気になることだと思いますが、個人的には、
「好きだったらやったらいい」
と思うのです。
幼稚園・保育園などでの活動も、「あそびが中心」だったら最高だと思うわけです。
長男は、ロープの結び方、ハサミ、折り紙、金づちなど、「練習」せずに上手になったことがたくさん。
色んなことを遊びにしてしまう想像力・創造力を育てること。
うまくできなくても、なーんにも心配いらないという安心な環境。
子どもたちには、色んなことを「好きだから」やってほしいな。