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【仮名序】のこと、全然知らなかった。月は欠けて見えても丸いと知ってるから油断してたら、そういえば平面じゃなくて球体だったもんね。みたいな話。多分違う。

物語って慰めであると考えています。

その根底にあるのが私にとっては『仮名序』の冒頭です。
しかし、よく考えたらあんまりよく知らないかも。
というわけで、インターネットの海を軽く泳いでみました☺︎
本当はちゃんと定本を当たって本格的に調べられたらもっと楽しいんですけどね。でもくずし字読めない。古文の強い大学の出身だというのに。

以下、月の話はしないです。
そして今回シェアハウスもじゃない方も関係なくフリーな投稿です。土佐日記も性別フリーで書いてたし(?)



それではまず、仮名序とは。

ここで取り扱う仮名序とは『古今和歌集』の仮名で書かれた序文のことです。紀貫之が執筆し、和歌の本質などを初めて論じたものと言われています。

◇原文 冒頭

やまとうたは、人のこゝろをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。

よの中にあるひとことわざしげきものなれば、心におもふ事を、みるものきくものにつけていひいだせるなり。

はなになくうぐひす、みづにすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるものいづれかうたをよまざりける。

ちからをもいれずしてあめつちをうごかし、めに見えぬおにかみをもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるはうたなり。

ウィキソースよりhttps://ja.m.wikisource.org/wiki/%E5%8F%A4%E4%BB%8A%E5%92%8C%E6%AD%8C%E9%9B%86%E4%BB%AE%E5%90%8D%E5%BA%8F


口語訳やるまでの根気はないので検索でどうぞ。

私はこの文章に高校生の古文の時間に出会いました。
と、思います。出会いなんて覚えてません。
だけど鮮明に覚えてなくても強く焼き付くものがあると、なんか一つ心に残りますよね。

それで何故か、またどういうところに惹きつけられるのかというと、この文章が歌の本質を論じているという点です。

ちからをもいれずして〜たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるはうたなり。の一文。

とにかく歌は物理法則とか現実とか他者とか種族とか身分とか全てを超えて心を解し通わせる力があるんだよって内容と理解しています。歌すげぇ。

特に私はたけきもののふ〜のところが強く焼き付いています。
強い武士の心をも慰める。この慰めに私はシンパシーを感じます。
明るい場所へ誘ったり、暗い場所に一緒にいてあげたり、何もしないでただ有ったり、覆って見えなくしたり、慰め方にも色々あると思いますが、共通に生きてるのって苦しくて辛いから、慰めが必要だと思ってて。

現代におけるすべての創作物、表現に通づるものと解釈しています。

そして、何千年も前の人間の感覚が受け継がれて、現代でも似たような感覚に陥れることにとてもロマンを感じます。
変遷の中で変わらないものが好きです。昔話とか口承文学が好きなのもその点が大きいです。形を変えながら脈々と続いていく、そう言うものをリスペクトしています。
そんなんかきたいじゃん。そんなものに出会いたい。



それで、気軽に好きと言っておりますが、タイトルにある通り、私は仮名序のことなんて何も知らなかった。

真名序とかあるんだ。
あと思ってたよりも長いじゃん。
てかずっと万葉集収録だと勘違いしてた。恥ずかしい。

好きだから何でも知ってるわけじゃなくて、全て知っているようなフリしてたら見落としてしまう。
知るって楽しい。好きなものなら尚更です。
先ほど一つ心に強く焼きつくものがあると、春になって花開くことを思い出した冬芽が芽吹くみたいに記憶や当時に似た感情が返ってくる。そんなところも楽しいです。

人生で何度か仮名序を暗唱しようと試みる時期があって、やってみてはいるのですが、二文目でつまづく。ジュゲムの名前は全部言えるのに。
変に強く焼き付いていると、イメージが更新されない現象とかでしょうか?
自分は何か一つでもいいから人に誦じてもらえるような詩が書きたい!って思ってるのに、自分じゃなかなかできてなかったりもする。覚えたいって意思はあるのに。
定期的に心に帰しては、また挑戦したいと思います。

〝なぜ好きなのか〟に還ってみると新しい発見があって世界がまた違って見えて楽しいですね!

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