「わたしは今どこにいますか?」
27歳の秋、私は携帯電話を片手にとある街を歩き回っていた。
そこは少し前に別れた彼が住んでいた、通い慣れた街だった。
目的地はすぐにわかるだろう。駅から徒歩7分と書いてある。一回下見をしに行って、時間までは…近所をうろうろ散歩してればいいから早めに行こう。
その日、私は歯科医院で面接を受けることになっていた。
2年続けた派遣の仕事を辞める直前のこと。久しぶりに正社員になろうと思い立ち、情報誌で見つけた医院だった。
高校を出てから4年間、地元の歯科医院でゼロからみっちり経験を積ませていただいた。前回も嫌になってやめたわけではなかったし、むしろ好きな仕事だったので地元以外の場所でもう一度やってみたかったのだ。
面接は13時。余裕ありすぎか、と思ったが12時には最寄りの駅に着いていた。
たぶんわかるけどいちおうね。と、地図をダウンロードして歩き始めた。
ああ、あのへんだな。と目星をつけて。
………ん、こっちか?そうだな、こっちだ。……いや、違うな、もう一本向こうの道だ。…………地図、??こんなとこに公園ないけどな。…………え?あれ???
ひとつ前の記事に、東西南北の概念がないと書いた。その割に、それまで道に迷ったことがほぼなかった。
ひとり旅が好きで、いろんな街に行った。地図や看板を見ながら、ちゃんと目的地に着けていた。
地図は手元にある。なのに辿り着けない。何故か?
上下左右(=東西南北)が全くとんちんかんだったからだ。(久しぶりの面接に、とても緊張していたからに違いない。)
地図の入っている携帯の向きがアカンかった。携帯の持ち方からして違っていたことを、その時の私はまだ知らない。
最初から真逆の方向へと歩き出していたのだから見つかるはずがなかった。
そんなふうにうろうろしていると、あっという間に30分が過ぎた。
まだ大丈夫だ。10分前に着けば良い。
ぐるぐると歩き回り、路地という路地を入ってみるが全く見つかる気配がない。
(でも奇跡的に医院の近くまで来ていた、というのをのちに知る)
そうこうしてるうちに、面接開始まであと15分。私は携帯を見るのをやめ、迷い込んだ住宅街で表札を見て歩き始めた。
自宅が一緒になってるはずだから、こうやって一件一件………
…………隣も、その先も、同じ苗字……なんで?こんなことある?みんな親戚なの??
半泣きになりながら決めた。こっちに曲がって見つからなかったら、電話をしてみよう。もう時間がない。
このとき、5分前。
よし!と曲がった道の先にリサイクルショップがあらわれた。ああ……電話……
電話をかけることがいちばん苦手だった。おなかいたい……
意を決して電話をかけると女性の方が出た。
「はい、〇〇医院です。」
「あの、すみません、私今日面接を受ける予定の…ハイ、そうです!あの、あの、えっと、場所が…あの、、わたし今、どこにいますか!!?」
……絶句、の、気配。
いや知らんがな。とは言われなかった。
「……(困惑した雰囲気)え、と、そこから何が見えますか?」
リサイクルショップの前だと伝えると、進む方向を教えていただけた。
この時、2分前。もう落ちたな。面接に間に合わないなんて社会人失格だ。
方向を教えてもらえたものの、確信が持てなかった私は走りながら言った。
「電話、切らないでください!」
結果から言うと、無事にたどり着き、面接を受け、合格した。
結局その医院で15年も働くことになった。まさかそんな長い間お世話になるとは。
働き始めてから、最初電話に出てくださったのは先生の奥様だったと知った。
「初めてよ、電話切らないでって言われたのなんて!着くまでずーっとぜぇぜぇはぁはぁしか聞こえないし!」と散々からかわれた。
ヘンな…というか、やばい子が来ちゃうなぁと思ったそうだ。
「そんな私が、なんで雇ってもらえたのでしょう?」ある日、先生に聞いてみた。
「履歴書と職務経歴書。と本人とのギャップ。」
履歴書と職務経歴書。助かった。ちゃんと書けててよかった。
そのふたつがびっしり丁寧に書かれていて「お?」と。若干発言が変だがにこにこしていて、印象が良かったらしい。
お子さまとお年寄りが患者さんに多く、キャラ的に向いてると思われたようで。
あの日、電話をしてほどなく…2、3分で着くことができ、面接をしてもらうことができたのだけど。
駅に着いた時は緊張しまくっていたのだが、そんなこんなですっかり気も力も抜けていたため、へらへら笑いながら先生と普通の話をしただけだった。世間話にちょっと経歴まぜて、みたいな。
もう落ちたわ。と思っていたので、わりと素のまんまだったのがよかったようだ。
その後。4年のブランクがあったものの「じぶんがどこにいるかもわからない女」は思いのほか活躍することができた。
18歳から厳しくもあたたかく、社会人としてのあらゆることから仕事まで、を叩き込んでくださった最初の先生のおかげだった。
身体がしっかり「仕事」を覚えていた。
即戦力となってくれてありがたい、と言われた時ギャップを裏切らないで済んでよかったと思った。
そして年配の方やお年寄りにも可愛がっていただけた。
ところで。
思い返せば、昔から何回か目的地と真逆の場所に辿り着いたことがあった。何回か、たまたま間違えちゃった。と思っていたのだけど。
私はこの日初めて、自分が紛れもない方向音痴であることを知った。
未だに東西南北がよくわからないが、なんとかかんとか生活し、無事に生きのびることができている。
それもこれも、周りの方のあたたかい(生暖かい)視線と手助けのおかげである。
今日も生かされている。感謝だ。