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【はじめましての自己紹介】普通の主婦でアラフィフでも、ネットやAIでお金と上手に付き合って、人生後半戦に立ち向かおう!
初めまして。ancoと申します。
アラフィフ世代で、既婚で、
成人した子供2名を持つ普通の一般的な主婦です。
特段秀でてるところは・・ないな~^^;
でも、コミュ力はある方です。
初対面の人にでもバンバン話しかけちゃえますよ(^O^)
まあ、半世紀以上は生きてきた、
といういわゆる「年の功」というんですかね(^_^;)
なので、生きているうえで何となくの経験値
というものは積んできました。
そんな中で、お金と時間をかけて
「時給」ではない働き方、
というものを模索してきました。
ネットの世界は動きが速いです。
やっと学んだと思った知識がもう時代遅れ
・・だったりなんてことはザラです((+_+))
でも、私が学び始めた頃より
数段便利で快適になったネットの世界。
AIを学んで得てきた知識や考え方を、
追々シェアしていきますね。
とはいえ、
どんな経験がお役に立てるかはわかりませんが、
やはり気になる人が多いだろうと思ったのは
年代的に『親の介護とお金』ではないでしょうか?
あと、子育てした経験から、
”大人になったからって
子育てが終わるとは限らない”・・・
普通だと思っていた我が子が実は・・・
なんてお話も、
時折交えていきたいと思っています。
まずは、私という人間を知っていただくために、
軽く自己紹介をさせて頂きましょう。
私の歩み
両親は関東の人でしたが、
父の仕事の都合で瀬戸内海の街で生まれ育ちました。
兄と妹の「妹」として育ちまして、
成長してから気づきましたが
かなりの「わがまま娘」でしたね~
学生時代(イジメをうけて・・)
振り返れば納得できなくもないのですが、
わがままで自己中な小娘だったことも
関係したのでしょう(-_-;)
地元の小学校でイジメに遭いまして、
田舎ですから1学年1クラス(20名弱)
という少人数だったこともあって、
クラス替えもなく
つらく苦しい小学校時代を過ごしました。
上履きを隠されたり、
聞こえる陰口は日常茶飯事で、
2時間目が終わった少し長い休み時間に
自宅へ逃げ帰った!なんてこともありましたね~(遠目)
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そのイジメから逃れたい一心で
勉強に励み(いわゆる中学受験です)
同じ小学校から
一緒に進学する同級生が一人もいない
中学校に進学しました。
(今でも自分の人生で
一番まじめに勉強したのが
小学校6年だったなあ・・)
入学当初は(まだ性格が・・)
軽いイジメに遭いましたが
自信を顧み、成長した結果、
その後は中学校生活、
概ね楽しく過ごせた3年間でした(^^♪
その後、親の仕事の関係で上京し
東京の女子高へ通い
そのままエスカレーターで短大に進学しました。
短かった社会人生活
バブルの最終期に短大新卒で一般企業に就職
(父のコネ・・コネなんていう手が
まだまだ通用する時代でした・・・)
庶務担当という、はっきり言って
腰かけ職に就きました。
そこに対して、抵抗のない人種だったんですよね💦
(まあ時代と言ってしまっていいでしょう)
若く(それなりに)かわいく?
しかも部署が技術系という事もあり
紅一点(時代です・・)
皆さんにかわいがっていただき、
「仕事内容」には魅力ややりがいを感じることなく
のほほんと過ごしておりました。
(後に盛大に後悔することとなります・・)
職場結婚から子育て
就職しても、
門限とかすべてに厳しかった親の元から
早く独立したい!
でも特にやりたいこともないから
誰かに養ってもらおう!
と考え(安直)
数多くいた同期に
「2年で寿退社してやる!」
と宣って、有言実行
見事その通りに今の旦那さんと
社内結婚しました!23歳💛
25歳・28歳と出産を経験して、
実家の近くにマンションを購入、
子育てしてきました。
(親の手もお金もたくさんお借りして(^-^;)
子育て中はママ友とのお付き合いから
またもや世間の厳しさを学び( ノД`)シクシク…
まだ人間出来てない若い時代に親となったことで、
子供とともに成長する子育てで、
上の子には苦労かけました(・・;)・・
まあ後にその我が子に
しっぺ返しを食らう事となりました・・
(このお話はまた別の機会に)
介護中心の生活へ突入
近住していた実両親の手助けを受けながら、
我が子の子育てに邁進した時代。
中学受験も経験して、習い事もたくさんさせて、
子供の反抗期も終わったかと感じた頃に、
尊敬する愛すべき両親が
ほぼ同時期に
介護が必要な状態となってしまったのです。
『箱入り娘』
と言ってもいい状況下で育ってきた私は、
ここから本当の社会勉強をする事となったのです。
親はある程度お金を持っているだろう
と感じてはいましたが、
その実、親の経済を全く知らずにいたので、
さあ困った‼
お金の価値観
そこから、
電卓・親の通帳・介護施設の料金表
を並べ格闘の日々。
父は昭和一桁、母も似たような世代です。
この時代の親というのは
今とは全く違った価値観を持っています。
特にお金に関しては・・
【子供にお金の心配をさせない】
という教育を受けて育ってきた世代ですから
当然のごとく、私も親の経済の詳細は
まったく知らされてきませんでした。
だからこそ、必要な行為(親の経済を調べる)
ではありましたが、
なんだか変な罪悪感、
しかもすごく大きな罪悪感を感じてしまい・・・
泣きました(´;ω;`)ウッ…
罪悪感と同時に、
自分が如何に親を頼りにしていたか
もう子供を持つ立派な大人ではありましたが
心はいつまでも「子・娘」なんです
ただ、今から思うと
そんな情けない娘のために、
親との別れの準備をさせてくれた、
そんな時間でもありました。
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お金を学ぶ・自らの価値観の変化
我が家は、
子供の教育にかなり重きを置いていたこともあり、
経済はかつかつ
子供の進学費問題のさなか、親の介護も重なって、
お金(家計)に真剣に向き合わざるを得なくなり、
将来を見据えて
不安しかない現実に唖然とし、
お金の勉強を始めました。
起業塾・物販・コーチング・自己成長セミナー等々、
たくさんの学びの場に参加して、
少しずつ己の凝り固まった価値観から
解放されていきました。
お金のセミナー講師なんてのもやりました(^_^;)
そこで気づかされたのは
「子供にお金の心配をさせない」という事は
「子供に経済を隠す」という事ではなかったのです。
そこから子供たちに、
家のお金について話をするように心がけました。
教育費に負担を感じさせるためではなく、
「知る」という事を大事にした結果でした。
で、行きついた人生折り返し地点の今、
感じていることは
人は「生きる」だけでなく「死ぬ」ためにもお金が必要だった
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両親の介護生活は結局、
ほぼ10年に及びました。
通所サービスから始まり、
介護状態の進行から、
両親二人だけの生活が難しくなり
「サービス付き介護住宅」(サ高住)に移り、
最期は看取りをお願いできる
完全介護の「有料老人ホーム」に
入所してもらいました。
そこで両親は亡くなりました。
二人とも、最期は眠るようでした。
いろんなことを経験した10年でした。
過ぎてみると、
どうも私は同世代の人よりも少し早くに
「親の介護・終活」
というものを経験したようです。
誰にも相談できなかった手探りでの始まり
正直、自分が介護に突入した時は、
誰に相談することも難しく、
友人たちはまだ未経験で、
アドバイスを求めることも
共感してもらうことも難しい状況でした。
しかも両親の同時介護です。
どちらかに相談することもできない
そんな状態は、本当につらかったです。
夫は協力的ではありましたが、
義母が同年代で田舎で
一人暮らしだったこともあり、
私自身に遠慮がありました。
兄も海外で仕事していましたから・・
だからこそ、
私の経験を話すことで、
つらい時期を過ごしている
どこかの誰か一人にでも、
一瞬でもホッとできる時間を作る
お手伝いになればと思います。
そして、その誰かと、
人生かけてお付き合いしていきたい。
楽しく笑いあって、
「あの時大変だったけど、
私たちがんばったよね」
って言い合える仲間の輪を
広げることが出来たら、
幸せだなと感じています。
どうぞよろしくお付き合いください(^^♪