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2014年精神科病棟入院日記あとがき
自分が日記を書き始めたのは2013年の6月1日、21歳の誕生日からである。そして、現在に至るまで日記を書き続けている。日記を書く、といってもメモアプリに記しており、1ヶ月毎にまとめてPDFに出力して紙に印刷してある。気紛れに書き始めた日記が10年以上続くことになるとは思ってもいなかった。今では日記を書かないで寝るのが気持ち悪いくらいである。
この入院日記の締めくくりである強制退院後に、もともと通っていたクリニックに戻り、入院生活中の話をして、双極性障害の診断を受けることになった。むべなるかなという感じである。2019年と2020年にも体調を崩して入院し、電気けいれん療法を受けた。10年経った今でも通院し、服薬を続け、苦痛の種を宿しながらどうにか暮らしている。
今回の入院日記を読み返してまず思ったことは、最近の日記よりも文量が多いことである。この108日間に及ぶ入院日記は約47000字(今回公開するにあたって差し障りのある箇所は削除したので、原文は約56000字)。単純に入院中であったから暇を持て余していたためとも考えられるが、それだけではないように思える。当時22歳の自分は一応学生という身分であったので、片田舎に引っ込んでいる今よりも人間関係が狭まっておらず、書く内容に困らない程度の出来事に恵まれていた。また、青年期にありがちな煩悶を記していたことも日記の増量を手伝っただろう。10年も経てば思想や考えは変わるもので、自分で書いているのに頷けない感想などが多くある。10年前の自分と今の自分は同一人物だと言えるだろうか。客観的には同一に見えても、主観的には同一でないと自分は信じる。こうやって自身の変化を認識できるのは日記の効用である。
日記を書き始めるきっかけとなったのは、荒川洋治の『日記をつける』(岩波現代文庫)を読んだことであった。この本は日記をいかにして書くかというよりも、古今東西の日記を紹介するような内容であったことを記憶している。この本で古川緑波という日記魔のことを知って興味を持った。後に『古川ロッパ昭和日記』(晶文社)の揃いを手に入れ、耽読したことから、日記を書くことだけではなく、日記を読むことにも関心を持つようになった。徳川夢声の日記(『夢声戦争日記』中公文庫)、遠藤周作の日記(『遠藤周作全日記 1950-1993』河出書房新社)、種田山頭火の日記(『山頭火全集』(春陽堂)収録)など面白く読んだ。ジョール・ルナールの日記、アンドレ・ジッドの日記、フランツ・カフカの日記、伊藤整の日記、高見順の日記など読みたい日記本はまだまだたくさんある。
自分がどうして日記を書くのかと言えば、自身の記憶力の悪さを自覚しているということが大きい。この入院日記を書いていなければ、当時のことはほとんど思い出すこともなかっただろう。仔細に日記を書いていると、その時の情景がありありと浮かんでくることがある。日記は思い出すためのよすがとなるのである。それに、日記を書き、読み返すことは自身を見つめ直すよい機会にもなる。自分の人生は不幸なことばかりであったと思っていても、日記を読み返してみると案外幸福だったと言ってもよい時期があったりする。日記を書くことは虚無への抵抗である。そして、何よりも日記を書くことは自身の心の慰めになる。自分の人生には何もないと思っていても、スーパーで買い物をしたり、煙草屋に行ったり、病院に行ったりと些細なことではあるが、社会と関わりを持って暮らしているのが分かる。そういったことを客観的に眺めることができる。社会というのは「社会人」だけのものではない。「社会人」という言葉の世間での使われ方が、「社会」の本来の意味を狭めてしまっているように感じる。
この入院日記を公開したのは単なる気紛れ、気晴らしであるが、日記は公開しなくとも、自分だけが読者であれば充分であると思う。自分という唯一の読者のために日記を書くのである。しかし、もしこの入院日記を読んでくれて、面白がってくれたり、気晴らしになったり、心が慰められたりした人がいるのなら、純粋に喜びたいと思う。
自分は現在、良寛が残した漢詩や和歌、書簡の言葉に慰められ、慎ましく生活している。
災難に逢時節には、災難に逢がよく候。死ぬ時節には死ぬがよく候。是ハこれ災難をのかるる妙法にて候。
災難にあうときには災難にあうのがよろしい。死ぬときには死ぬのがよろしい。これが災難を逃れる上手な方法である。これは良寛が知人に送った手紙の中の一節である。老荘思想で言うところの無為自然の考えと近いところがある。良寛は論語には親しんでいたそうだが、老子や荘子は読んだことがあったのだろうか。自分はこの入院日記の終盤で初めて老荘思想に触れたのであった。それから、断続的に老荘思想に関する書物を読んできた。ひとくちに老荘思想と言っても、老子と荘子では大きな相違がある。老子は現実社会での成功といった世俗的なものから免れていないが、荘子はそれをまったく超越している。そういった点で、世から捨てられたような(世を捨てたのではない)自分は老子よりも荘子を好む。良寛も立身出世といったものには縁がなかったようで、次のような漢詩を残している。
生涯懶立身 騰々任天真
嚢中三升米 炉辺一束薪
誰問迷悟跡 何知名利塵
夜雨草庵裡 雙脚等閒伸
訳:生まれてこのかた立身出世のことに気がどうも進まず、天然自然のままにまかせ、うとうとと過ごしている。嚢の中には米が三升、炉の側には薪一束という暮らしだ。迷いだの悟りだのがどうだとも思わず、名誉だの利得だのという煩いも知らぬ。雨の降る夜は庵室のなかで、気まま気ずいに両脚を伸ばしている。
やはりこの漢詩も無為自然的であると感じる。自分は学者や専門家ではないので話半分に受け取ってもらいたいが、精神疾患に悩んでいる者が老荘思想を学ぶことは悪くないと思う。自殺ということをあれほど考えて未遂までしていた自分であったが、今は自殺しようなどとは考えず、「死ぬ時節」が来るのを両脚を気ままに伸ばして待っている。
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