草間彌生美術館にて
外苑東通りの西側、大江戸線の牛込柳町と東西線の早稲田の中間辺りに、草間彌生美術館のビルは立っている。神楽坂もそう遠くはない。近づくと、エントランス階のファサードはガラス張りになっていて、草間のトレードマークである水玉模様が一面に描かれている事がわかる。完全予約制なので、事前にネットで電子チケットを確保しているが、ワクチン接種が予定より大分早く済んでしまったため、入場時刻までかなり時間が空いてしまった。ビルの写真を一通り撮影した後、周囲を散策して時間を潰す。
外苑東通りの歩道脇には、何にも使用されていない土地が確保されている。人が入らないように柵で囲まれている。おそらく、未来において車道を拡幅する計画があるのであろう。
歩き疲れた。草間ビルの裏側に回り、外苑東通り西側の住宅街に入る。すぐ近くの、漱石山房記念館裏の公園で休憩する。路上には、何故か鼠の死体が落ちている。
時刻になったので入場する。オンラインチケットのQRコードをスマホの画面上に表示し、係員に見せる。読み込めない。原因は不明だ。結局、管理システムからチケットの購入記録を確認した上で、入場することとなった。
この日、この時間帯の入場者は、自分以外には若い女性の二人組だけであった。
美術品なので、原則として撮影は禁止なのだが、一部、例外的に撮影が許可されている展示物がある。一階にある、合わせ鏡の覗き窓のような作品も、撮影が許可されているので、そうする。ネット上にその画像をアップすることまで、許可されているのかどうかは分からない。
案内に従い、階段を上っていく。
草間の作品には、どれにも一貫して不定形な生命力が横溢している。ある作品はミトコンドリアのような形状をし、またある作品はイソギンチャクや、ファンタジー世界に登場する触手生物のように見える。見る角度によっては、グロテスクである。そのグロテスクさは、生命そのものが必然的に持つグロテスクさを極度に誇張、拡大したものだとも感じる。増殖する意思が具現化されている。この強度とインパクトによって、世界的な名声を確立した表現者なのだと、再確認する。
ある一室を用いた、期間限定の参加型アートがある。用意された造花を一輪、その部屋のどこでも好きな場所に貼り付けて良いという趣向だ。私がその部屋に入室した時点では、既に部屋のあらゆる部分が造花に覆われており、新たに貼り付け可能なスペースなど何処にも無いように見える。増殖の帰結としての過剰と飽和。それこそが、表現者としての草間が意図して狙ったものであるかもしれないし、全く違うかもしれない。この部屋が地球で、部屋に充満する花はホモサピエンス、人類なのかもしれない。この部屋が人体で、部屋に充満する花はウイルスなのかもしれない。
そうではなく、そのような物語とは異なった位相の単なる事実を、この空間は提示しているのかもしれない。点という概念は、数学者の頭脳の中にのみ存在しているに過ぎず、現実においては、いかなる極小の点も必ず面積を持っている以上、無数の点の集積は必ず面となって私達の視界に現前するのであると。
この「作品」は撮影可能だったので、写真を撮る。
年譜を読む。錚々たる経歴、成功歴である。草間はベビーブーマー、もしくはそれに近い世代の人間だと勝手に思い込んでいたが、その勘違いを正される。実際は戦前、昭和一桁の人間であり、私から見ると、父の世代と祖父の世代の中間ぐらいにあたる。その世代でここまでの先進性と行動力は真に驚嘆すべきであり、世界中から最大限の敬意を払われるのも、全く当然のことであると思われた。
展示物の掉尾、屋上階には、床から直接生えてきたような、一輪の巨大な花のオブジェが置かれている。勿論、水玉模様だ。
このビル全体が、新宿区西側の台地に根付いた一本の大樹、巨大植物であって、我々は今までその植物の内部の維管束を通り、その細胞組織を見てきたのだ。その植物が天に向かって咲かせたのが、この巨大な花のオブジェなのだ。そう解釈することも可能なのではないかと考えた。しかしながら、前衛芸術に対して、その解釈は余りにも平凡、凡庸、陳腐、教訓的かつ物語的であるとも感じた。そもそも現代美術を解釈しようとすること自体が、野暮で的外れで、不要な営為なのかもしれなかった。
西側はガラス張りになっている。この美術館ビルそのものの高さに加え、早稲田の低地から神楽坂の高台に至る上り坂の途中に位置していることから、中々に良い眺めとなっている。雲がやや出始めている。関東山地は何となく見えるが、今の天気では富士山までは見えない。
足元には、漱石山房記念館の屋根、北西には早稲田大学西早稲田キャンパス及び戸山キャンパスの建築物が見える。その建築物のほとんどは、今の自分には判別がつかない。よってその景観からは懐かしさは生じない。一番目立つ建築物が、新しい8号館だろうか? 新学生会館はどれだろうか? 中央図書館裏、新目白通り沿いのタワーマンションが、今となっては最も見覚えがある建築物である気がする。(岸田新総裁は早大出身とのことだが、岸田の学生時代には、中央図書館すらまだ無かっただろう。)
南西の、大久保から新宿方面に目を向けると、やはり高層ビル群が目立つ。その中で最も存在感があるのは、やはりコクーンタワーだ。
エレベーターで一階に戻る。ミュージアムショップを覗く。さすがに全てが割高で、何を買おうか大いに迷う。草間デザインの水玉模様のカボチャが描かれた茶筒に詰められた、ブルボンの某製品に酷似した洋菓子を購入した。無論、菓子ではなく缶の方が本体である。
外に出て少しすると、雨粒によって、美的表現物としての意匠や模様ではない、意志が介在しない正真正銘の自然現象である水玉そのものが、路上に描かれ始めた。