【読書録】斎藤邦明『川漁師 神々しき奥義』(講談社+α新書、2005年)

 2019年の秋、巨大台風の相次ぐ襲来による深刻な被害を、日本列島に住む人々は目撃することとなった。被害規模・範囲の甚大さに人々は驚き、防災意識、治水に関する認識が、改めて問い直されることとなった。

 遊水地や地下放水路といった防災施設が有効に稼働し、首都圏においては多くの人々が辛うじて罹災を免れることができたという現実は、大規模土木事業の必要性を再認識させることとなった。加えて、水害に対して極めて脆弱な関東平野の地理的な特徴も、改めて人々は知ることとなった。徳川家康が利根川東遷工事を行った江戸時代から継続して行われている一連の治水事業は、首都圏を水害から守ることは必要不可欠であることが確認された。この水害を経験、あるいは目撃した結果として、過去に批判された巨大ダムやスーパー堤防といった事業に対しても、肯定的な評価を持つ意見も珍しいものではなくなった。

 本書は、日本各地の川において漁を行う川漁師、12人に取材したルポルタージュ。書籍化されたのは2005年なので今から14年ほど前、雑誌掲載はそれより以前の、2000年代初頭となる。

 一人一人の漁師に、それぞれの漁場である個別の川、あるいは対象魚に特化した高度な暗黙知の蓄積があり、インタビュアーはそれを引き出すべく漁の現場に密着する。様々な未知の漁具や、漁場の環境に高度に特化した漁法が数多く紹介され、読み物として非常に面白い。時代とともに失われつつある、一つのライフスタイルの記録としても貴重である。

 今回の台風の中で、本書中のある記述を思い出したので、引用したくなった。群馬県を漁場としてナマズやウナギを網で捕る、大正生まれの漁師の言葉である。

 そりゃあ家にも少しは(田んぼは)あったよ、あったけんど水の多い少ないが極端なんだわ。台風なんかくっとはぁ、利根川があふれて屋根まで水がきたかんね。牛が流れてきたり、家が流れてきたり、人が流れてきたりで一面水浸し、せっかく黄色く実った稲穂が十日も十五日も水の下にくぐんでんだから。そんなの刈り取ったって、臭くて食えたもんじゃねぇよ。ほんで水害をさけて耕地を高台にもってくってぇと、こんどは土用の時期の渇水だ。
  おらちも百姓家だったんだけど、作物がとぼしいもんではぁ、オトさんはちかくの川や沼で川魚を捕って生活の足しにしてたの。ああ、毎日のように漁にでてたな。おらも後ろさくっついてってよ、利根川や今見てきた谷田川、多々良沼、雷電沼、板倉沼、それから栃木県の谷中湖にまででばってって、コイやフナ、ナマズやウナギ、クチボソ、ドジョウなんてのを捕ったもんだよ。おらっちの地区には五十戸ほどあるがよ、そのうちの四十戸がそういう生活だった。ンで、このせまい地区に川魚問屋が二軒もあったんだから、どんだけ川魚漁がさかんだったか、わかっぺや。
  ああ、一年中何かしら捕れたな。とくに百姓にとっちゃありがたくねぇ台風のときなんか、オトさん、百姓のくせして笑いをかみ殺してたもの。台風の後は大漁なんだわ。沼のナマズやウナギが(利根川めざして)下るもんでよ、一日に三十キロ、五十キロって捕れたかんね。大水で農作物はダメになっちまうが、もともとたいしたものが取れるわけじゃねぇんだから川漁の稼ぎのほうがよっぽどえがったんだ。

 

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