2.一旦解散
私は倒壊した木造ハウスを一人で解体しながら、ちょうど一年前、法人としてスタートをきった時のことを思いだしていた。
FromTomatoは当初3人の会社だった。以前勤めていた会社での同期で制御設計エンジニアの宮田と、機械設計エンジニアの良田、そして私の3人で立ち上げた会社である。
始まりは2017年6月、長女の誕生を機に「子供や孫が生きる世の中にいい仕組みを」という思いで、独立することを決めた私は、化石燃料に依存している日本のエネルギー構造の改善を目指し、未利用バイオマスエネルギーの有効利用を目指した。山林で放置されているバイオマスを、近隣の農業用ビニールハウスの暖房エネルギーとして活用することを思いついた私は、早速ベランダに小さな温室をつくりトマトを栽培しながら農業の勉強を始めた。
オランダの最先端農業では、天然ガス発電所から二酸化炭素と排熱をパイプラインて大規模な農業温室まで運び、土は使わずにロックウールと呼ばれる人工的な培地と液体肥料で理想的な環境をつくりだすことで、日本の2倍以上の生産性でトマトを作っている。
その科学的な手法を知った私は、関連する書籍を読み漁り、プラントエンジニアリングの知識が活かせると確信し、まずはやってみるべしとベランダでトマト栽培を始めたのである。
一方で、このオランダ式の生産方法は日射量、温度、湿度、二酸化炭素濃度をセンサーで計測し、そのデータに基づいて環境を制御し水やりを行う必要がある。
プラント建設現場ではもっぱら耐火物や機器の設置を担当していた私は、制御に関しては素人同然だった。そこで、同期の制御エンジニア、宮田に相談したのが一緒に事業を始めるキッカケとなった。
このベランダでのトマト栽培を経て、2018年に退職し、本格的に農業に参入した。今思えば、よくあの程度の実験でイケると判断できたなと思うが、勢いというのは本当に恐ろしい。
何もない田んぼに、小さな木造ビニールハウスを建て、そこで100株ほどのトマトを育てながら、毎週末、宮田とトマト栽培システムの構築をすすめていった。システムも、栽培も、木造ハウスも不完全ではあったが、なんとか栽培できていたことから、この後一気に規模を広げて一反の木造ハウスの建設へと踏み切った。もし、この時の自分にアドバイスができるのであれば、まずは栽培方法とシステムを確立してから規模を広げるように口酸っぱく説くだろう。
ちょうどこの規模拡大の頃から、農業に興味を持っていた良田が週末手伝いに来てくれるようになった。一緒に木造ハウスを建設していく中で、良田も本格的に農業に参入する決意が固まり、夢と希望に胸を膨らませ私と宮田、良田の3人での事業が始まった。
安価な木造ハウスで規模を拡大していき、ブランディングされたフルーツトマトをガンガン生産、販売し、近隣の竹林をエネルギーに変えていく。自分たちが農業のカタチを変えていく、そう信じていた。
しかし、現実は甘くなかった。自分たちの実力を過信した収益計画はことごとく下方修正されていき、規模拡大のための融資を申請しようとしたが、信用の低さから三人分の収入を賄うだけの金額を確保できないことが発覚。
そこに追い打ちをかけて、台風により生産能力は半減し、窮地に立たされた。
起死回生を狙い、ベンチャーキャピタルに事業計画を持ち込んで出資を募ったが、技術にも飛び抜けたものがない我々のビジネスモデルは投資するに値せず、全敗だった。
そして、2020年11月。我々は一旦解散することを決めた。会社が大きくなり、3人でやれる体制が整ったらまた一緒にやろうと約束し、それぞれ新たな道を進むことにしたのだ。
自分の信用がないことが全てなのだが、私は金融機関から評価されなかったというこの悔しさをバネに、必ず世の中を見返してやると、身を奮い立たせ、せっせと釘を抜いていた。