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「早い」と「短い」は違う。私が次に髪を切るまでのあいだ。~父のこと⑧~
#20241130-494
2024年11月30日(土)
美容院へは2ヶ月に一度行くことにしている。
ショートヘアなので1ヶ月に一度がいいのだろうが、なかなか行けない。しかも、独身時代から通っているところから離れたくないため、片道1時間少しかかってしまう。その微妙な遠さが気軽に行けない理由でもあり、気分転換にもなるため近くに探さない理由でもある。
前回は9月19日だった。
今日は11月30日。2ヶ月を越えてしまった。
美容院に向かいながら、私はその前回を思い出す。
まだ陽差しが強かったこと。ビルとビルのあいだにのびる小道に入り、その日陰に安堵したこと。
美容院の前まで行ったときに、スマートフォンが鳴った。母からだった。
珍しいことだと私はスマホに耳を寄せた。
母の声は重く、言葉を選びながら話しているらしく途切れがちだった。
父の容態が悪いこと。
25日に主治医から家族に大事な話があるので、病院に来てほしいこと。
ただあなたも妹も家庭を持つ身なので、その日に来られなくても咎めはしない。主治医からではなく、母から間接的に聞くことになるだけだ。
先月まで、父はいつも通りだった。
1日おきに母を連れて車で広い公園へ行き、ジョギングをする(母は日傘をさして、てくてく歩く)。退職してから借りた市営の小さな畑の手入れをする。高度経済成長期にサラリーマンだった父は、家のことは母にまかせきりだった。そのこともあり、退職してからは洗濯をし、食事も朝と昼は父が作っていた。
日のあるうちはこまねずみのようにせっせと働き、15時になれば早めの風呂に入り、ほんのちょっぴりの晩酌を楽しみながらTVを見る。
同じような毎日。
だが、父はその平穏さを愛し、とても満足している様子だった。
――なにがあったのだろう。
戸惑いながら、私は電話を切り、美容院へ入った。
担当の美容師さんとの会話も上の空だった。鏡に映る自分が笑って応えているのが奇妙ですらあった。
主治医の話はまだわからない。
「主治医」という言葉が飛び出す時点で、父がよい状態でないことはわかる。
あれから。
このまま年を越すにはちょっとみっともないと思うくらい、私の髪は伸びた。
父の命はもたなかった。
主治医が余命1ヶ月あるかないかといった通り、父は11月上旬に地続きのこの世界から去ってしまった。
今、私は実家に通い、母の代わりに父の死後の手続きをしている。はじめてのことばかりで、戸惑うことが多い。親や身内が亡くなった後の届け出とタイトルにある本を買い、市役所からは手続きの冊子をもらい、目を通したが、書いてあることが少しずつ違う。
死亡届を提出したところと父の本籍地が遠く離れていたため、手続きに時間がかかったり、「速やかに」と書かれているから焦って電話をしても予約そのものが取れなかったりした。マイナンバーカードの普及により省略された手続きもあった。
私が次に髪を切るまでのあいだに、父の病状は重くなり、病院へ面会に通った。父が延命処置を望まなかったため、治療を中止し、緩和ケアをできる病院へ移った。
そして、その晩に父は亡くなった。
翌日には葬儀会社と打ち合わせをし、翌々日には葬儀を行った。
たった、私が次に髪を切るまでのあいだに、たくさんのことが起きた。
「早かった」という感じは、なぜか、ない。
ただ「短かった」と思う。
「早い」と「短い」は違った。
濃密でぎっちりと詰まっていて息を継ぐ間もなかった。だが、あっという間ではないのだ。
あれもあった、これもあったとひとつひとつのことが定規に刻まれたミリ単位の目盛りのように思い出せる。
私が次に髪を切るまでのあいだ。
その時間すらもたなかった父の命は短くて短くて、胸がぎゅっと締め付けられる。
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