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(仮称)牧山テラス 完成までの試行錯誤スタート

ばあちゃんち

自分にとって、「ばあちゃんち」といえば、北九州市戸畑区にある母の実家だった。父の実家は福岡県嘉穂郡桂川町にある。桂川の家ももちろんおばあちゃんの家だけど、頻度の要素や母親のキャラの要素で、なぜか自分にとっての「ばあちゃんち」は母の実家を指していた気がする。何かあれば、家族でも一人でもよく泊まったし、親戚を含めた家族みんなが集まる場所は、いつも母の実家だった。

父親の実家

別の記事で詳細は書くとして、父方の土地をどうするかは自分にとっては直接の懸案だった。2010年頃から両親と弟と協議の上、自分の職業的経験も活かしつつ弟と両親が住む二世帯住宅を建設した。建設にあたるサポートを東京から遠隔で行った。
二世帯住宅が完成してから月日がたった2015年、母の父が、二世帯住宅の隣地が売りに出るという話を聞きつけ、「隣の土地は借金してでも買え」という格言通りに突然土地を購入(強引だったので、母がお隣さんと直接話をし、かなり簡易的な土地売買契約書を私が作成した)。建設資金は家族で共同出資して母の両親の介護用の住宅を建設した。父方の実家の隣地に母方の実家があるという、一般的には聞かない面白いことになってしまった。
現在この記事をお読みいただいている方ご自身の場合で想像していただけると、この状況の不思議さは感じていただけることかと思う。私の母を中心にして、家族が寄り添って生活する状態となった。東京から帰省すると、そこに全ての家族がいた。自分の父方の不動産の整理を終え、あとは両親の老後をサポートすることで、いい親孝行ができるのではないか、勝手にそう思っていた。

残されたばあちゃんち

2020年10月に父方の祖母が100歳で、2021年8月に母方の祖父が91歳で、2022年10月に母方の祖母が90歳でそれぞれ大往生で永眠した。
それぞれ、最後は痴呆症になっていた。私の両親は、介護施設との行き来や様々なサポートを行い大変な日々だったと思う。コロナが発生したことも、大変さに輪をかけたはずだ。だけど、上記のようにメンバー全員を母が住む桂川町に集結できていたこともあり、孫の自分は東京にいてほとんど何もできなかったけど、父と母は、それぞれの親との残された時間を上手に過ごしていたと思う。
こうして、残された形になった、北九州市にある母の実家。晩年は誰も住んでいなかったので、整理は当然母親に任せていた。母方のお話ということがあり家の制度のせいなのか、なんとなく自分は関わるべきではなく、口出しをせずに進めていた。だけど、いつからかなんとなく、「このまま終わらせていいのか」というモヤモヤした気持ちが出てきた。
後述するが、この敷地は山の上にあり売却するのに難儀することがあり、簡単に手放すこともできない敷地だ。そうであれば、自分が引き取って何か手を加えてみようか、という気持ちが生まれ始めたのが2022年。私自身が都内で従事している会社の案件で、新築ではなく古い建物の再生に携わったこともきっかけになり、ばあちゃんちを「(仮称)牧山テラス」と見立て、今の時代に合った何らかのプロジェクトにして再生することを目論むことになった。
せっかくの機会なので、このプロジェクトを実行するにあたり、自分の頭の中で整理したことや模索したことをまとめて、同じような問題を抱えている人に何か参考になることがないか、と思ってこのnoteを書き始めることにした。素人が手を出すことなので、情報に多少の正確性に欠ける部分があることはお許しいただくとして、興味がある人にお届けしたいと思っている。

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