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ユーラシア大陸自転車横断 まえがき

ここのところ、テレビを点ければ連日パリオリンピックでの日本人選手の眩しい姿が映されている。誰が金メダルを取ったとか、取れなかったとか、クシャクシャに歪んでいる笑顔とか、絶望に泣き叫んでいる背中とか、それぞれ競技も違えば、その人しかに知り得ない努力やら壮絶なバックグラウンドだとかストーリーがもちろんあるんだろうけれど、どれを取っても、どの一瞬を切り取っても息を呑むくらいに輝いていて、羨望とも憧れともなんとも形容し難い感情がこのアパートの一室(大阪市生野区 家賃6万弱─近隣の治安はちょい悪め)をぶわっと包み込む。

2017年の7月、確かに俺はパリにいた。大学の授業もろくに出席せずにバイトをしまくって揃えた装備と自転車を、シャルル・ド・ゴール国際空港の国際線到着ロビーのすみっこでせっせと組み立てていた。物珍しそうにジロジロと一瞥しながら通り過ぎる外国人に、滲み出てくる汗と嘘くさい愛想笑いを振り撒きながら、確かにその青年(俺!!)は夢を見ていた。

「自転車でユーラシア大陸を横断する」

いつどのタイミングでそんな事を思いついたのかは正直あんまり覚えてない。知らない場所を散歩するのは近所外国問わずに好きだけど、かといって旅行が好きなわけでも自転車が好きなわけでもないし、なんなら「海外旅行最高!こないだは⚪︎⚪︎⚪︎に行ってきました!これで10カ国め!」とか「留学してます!現地でこんなに友達たくさんできました!」とかいう、インスタグラムによく流れてきていた大学生満開のキラキラした連中とその雰囲気はむしろちょっと苦手だった。きっかけといえば、そういう連中に対する反骨心というか、「あたい、ぽまいらと同じ道は往かぬでござるよ〜〜〜?」みたいなしょうもない″尖り″だったり、父親が若い頃に日本一周をした時に乗っていた自転車がずっと実家に飾られていたことだったり、自転車特有の心地良いゆる〜いスピード感とか、バイトばっかりしてる場合じゃないぞ俺…!っていうちょっとした焦り(かといって授業には出たくなかった)とか、そういう小さいものが積み重なって押し固められて大きいグシャグシャの衝動の塊になって、その青年(俺〜!!!)を突き動かしたんだと、今となっては思う。

でも、きっかけとか当時の思いとかはどうでもよくて、あの時、パリから最終地点の上海を睨み続けて自転車を漕いでいた俺は間違いなく世界で一番輝いていた。いまテレビの中でパリの表彰台に立つ、ないしはインタビューでぐちゃぐちゃに涙を流すあの人たちと同じくらい、ピカピカに眩しかった。そして、その時の輝きにリバーヴがかかって、そこに加えて酸いも甘いもいろんな経験───ノイズ、とでも言うべきでしょうか───を幾重にも重ねた今の俺は、この部屋から見えるあべのハルカスの傍を突き刺す西日みたいにぼんやりと際立っていて、アサヒスーパードライを2本飲んだからうっすらちょっぴり酔っ払っている。

ズタズタの荷物。中国国際航空、許さん。



この旅の中ではいろんな出会いとトラブルがたくさんあって、その欠片みたいなものがギュッとなって今の自分を形成していることは100%疑う余地もなくて、そして今、うっすらちょっぴり酔っ払っているのも紛れもない事実で、今日の夕日が綺麗すぎたのも相まって完全にノリでこのnote?とかいう得体の知れないサービスを開設した次第であります。
当時のことを思い出しながら、当時書いていたうんこブログを見返しながら、過去の輝きと最近の放浪と、そしてこれからの新しい旅をちょっとずつ綴っていこうと思っています。酔っ払っている上に完全にノってしまってはいますが、「いますが」というより「いますがゆえ」の方が正しい気がしますが、飽きたらすぐ辞めます。イェエエエエエエエエーーーーーーーーーイ!!!!!!!!!!、!!れ!!!!!!!!れ!!!!!、!!


最近始めたX(写真載っけてます)↓

シャルル・ド・ゴール国際空港にて

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