【𠮷田德次郎<後編>】死ぬまで破られなかった最高強度〜土木スーパースター列伝 #09
こんにちは。土木広報センター土木リテラシー促進グループ長の鈴木三馨です。10月15日に日本のコンクリート工学の育ての親と呼ばれる『𠮷田德次郎』先生の誕生日にちなんで「<前編>常識をひっくり返したコンクリートの神様」をご紹介しましたが、今日は後編です。
引き続き、「𠮷田先生」と表記させて頂きます。
トントン叩くマイハンマーは聴診器
『土木偉人かるた』の絵札にハンマーが描かれているのにはちゃんと意味があります。
美味しいスイカを見分けるのに、トントンと叩いた経験ありませんか?あれは果肉が詰まっているか音や振動で判断するためです。同じようにコンクリートも叩くことで内部の空洞などの欠陥が分かるのです。
このハンマーは、𠮷田先生が全国各地の現場指導の際に持ち歩いていたハンマーを描いています。打音でコンクリートの品質を判定する“マイハンマー”で、「𠮷田先生の聴診器」と周囲からは呼ばれていたそうです。
私もあらかじめ空洞のあるコンクリートで打音検査を体験したことがありますが、なかなか判断が難しくてよくわかりませんでした。今ではAI(人工知能)を駆使したコンクリートの診断をする最新技術も開発されていますが、それもつい最近のことです。
𠮷田先生は同じハンマーを使い続けていることで、コンクリートの中の不具合を発見できる超一流のコンクリートのお医者さんだったのだと思います。そのハンマーは今も東京大学に保存されています。
𠮷田先生のハンマー
(東京大学大学院工学系研究科社会基盤学専攻コンクリート研究室提供)
𠮷田先生はイリノイ大学への海外留学から帰国後、外国から新鋭の試験機器を購入して、コンクリート実験室を最高レベルに引き上げ、まだ星が見えるような早朝に実験室に来ては、その日の晩まで実験に明け暮れたといいます。
学生に対しても「毎日実験を行って真剣な努力を重ねれば道は必ず開けます!」と激励したそうです。私が学生だったらその熱量についていけるか正直自信がないです。
世界を驚愕させた伝説の論文と最高強度102N/mm²
関門鉄道トンネル
左:シールド区間のRCセグメント、右:RCセグメントのコンクリート打設
(出典:朝倉俊弘ら,関門鉄道トンネル)
𠮷田先生が「自分のコンクリートに関する知識と経験とで、どこまでできるものか、試してみるつもりで実験を始めたよ」とおっしゃられた伝説の論文があります。『最高強度コンクリートの製造に就いて』です。
今から80年ほど前、日本で初の本格的なシールド工法が適用された関門トンネルのセグメント(セグメント:シールドトンネル構築に用いられる壁面ブロック)において、当時高級品であった鋳鉄製セグメントの代用品として高強度コンクリートの開発が急務でした。そこで𠮷田先生は最高強度のコンクリート研究をスタートさせ、世界を驚かせる数字を叩き出します。それは『102N/mm²』。
この102という数値は、当時一般的に用いられていたコンクリート強度の約10倍で、𠮷田先生のご生存中には破られることはなく、しかも、水セメント比、締固め、養生の工夫のみで達成した超弩級の記録なのです。このRCセグメント(RC:鉄筋コンクリート)はさらなる改良がすすめられ、現代においても数多くのシールドトンネルに用いられています。
𠮷田先生の研究テーマは、材料分離、最高強度コンクリートの他に、寒中コンクリート、プレストレストコンクリートと多岐にわたり、それはすべて現場での実践主義を貫くものでした。𠮷田先生が指導した現場は、今でも私たちの生活に欠かせないインフラとなっており、その研究成果は現代においても輝きを放っています。
ちなみに、現代の(流し込み成形による)コンクリートの最高強度は464N/mm²までアップデートされています。参考:世界最高強度を達成するPFC(無孔性コンクリート)の開発:研究・技術開発:太平洋セメント
コンクリートに生涯を捧げた頑固おやじ
戦後土木技術の原点ともいわれる佐久間ダム
(出典:ダム便覧)
𠮷田先生はその人生をコンクリートに捧げ、コンクリートを観察し、コンクリートの内なる声を聴き、周囲からは頑固おやじの尊称を奉られていたほどで、誰に対しても歯に衣着せぬ直球型で全国各地の工事現場でコンクリートの指導にあたったと伝えられ、逸話は数知れず残っています。
一方で、教育者としての理念は「教えない教育」。技術者にとって最も大切な能力は独創力であって、それを培う道は自主勉学にあるという信念からです。土木学会第67代会長の國分正胤(こくぶまさたね)、元日本鉄道建設公団総裁の仁杉 巌(にすぎいわお)を始め、多くの𠮷田門下生が社会に多大な貢献をしています。
愛弟子である國分先生は、𠮷田先生の姿をこのように述懐しています。
真剣勝負さながらの気迫に打たれるとともに寸分の無駄もない、流れるように円滑な美しい御動作に息詰まるような感覚を覚え、目頭が熱くなり、時のたつのを全く忘れた午後でした。古今に残る舞台の名優の演技とも思われ、美にあふれた名人芸に感じ入ったのであります。
さらに、「学校へ来る方が楽しいからね」といって、定年でご退官になられる前の2年間、日曜・祭日でも毎日東大に出勤されていたそうです。晩年、「あの頃は苦しかった」と漏らしています。「毎日努力を続ける」という無言の激励を背中で学生に教えていたのだと思います。
「未来に向かって、どういうコンクリートを造ったら、人類の役に立つか、コンクリートを人類の役に立たせるにはどういう風にすればよいかという研究も大切である」と𠮷田先生は私たちに言葉を残しています。
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大人になってからも、夢中になって時間を忘れる経験はどんどん少なくなっている気がします。𠮷田先生は37年間、ひとつのことに没頭し続けた生涯でした。そのエネルギーがどこから来るのか興味津々です。
最近、好きなことを仕事にする文脈っていろんなところで目にしますよね。𠮷田先生がコンクリートを好きすぎたのかは分かりませんが、コンクリートをよく観察し、常に勉強をし続けていたからこそ、あれだけの成果を出したのは間違いないでしょう。
どうせやるなら、とことん極めてみる。𠮷田先生のまっすぐな働き方から新たなエネルギーを頂いた気がしています。
文責:鈴木三馨(土木リテラシー促進グループ長)
プロフィール
土木広報センター土木リテラシー促進グループ長。土木偉人かるた企画者兼作者。土木酒場の女将。土木偉人愛好家たちと推し偉人について語り合うことを夢見ている。大学では土木工学を専攻し、現在はゼネコンの研究所でコンクリートの研究開発を行っている。
■参考文献
・土木学会吉田賞選考委員会:吉田徳次郎先生の御遺徳を偲んで,1993.
・朝倉俊弘,久楽博,鶴英樹:関門鉄道トンネル,コンクリート工学,Vol.46,No.9,pp.71-79,2008.
・渡邊明:「コンクリートの神様」𠮷田德次郎,土木学会誌,Vol.103,No.5,pp.48-49,2018.