アサーション入門
アサーションとは、自他尊重のコミュニケーション、ということだ。
3度繰り返して読んでみたが、書いてある内容がすんなりと自分の中に入ってこない。読みながらも、すぐに自分の世界に入り込んでしまう。
自分はどうもアサーティブでもアグレッシブでもなく、ノンアサーティブで、その原因は、著しく欠如した自信、被害妄想であり、その由来は、無理に自己肯定することを続けてきた母の姿をある種居心地の良い理想像としてきたことにあることに気づいた。これまでは、口の悪い父からの悪影響だけが気になっていたが、より本質的なのは母からの影響であることに気づいた。高校受験も大学受験も社会人になってからも今一つうまくいかないのに、自己肯定する姿勢を維持し続け、その後の家庭生活、自営業もひたすら自己肯定の中で突っ走ってきた。それを理想的な姿として見ていたが、自分は別人格である。そして、職場環境、家族構成も違う。バランスの悪さは、自分を息苦しくさせているだけである。
人とのコミュニケーション方法のノウハウがこの本に書いてあればな、と期待していたのだが、その一歩手前の、自分をどう評価し、どのように治していきたいのか、ということに気づかせてくれた。
最近の例としては、車の売却に関する煩悶があったが、昨日のガリバーの人の半年一年すれば慣れますよ、という言葉に救われた。それまでは不安で仕方なく、近隣のレンタカー屋を巡って確認したいことを取材したり、カーシェアの状況を見てみたり、やはり欲しくなった場合の代替車の候補探しやら、購入シミュレーションやら、今振り返ると病的に追い詰められて行動していた。契約書を読み返して、キャンセルが可能なことも確認した。経済的なメリットで納得しようとした。とにかく不安だったのだ。
もう車のなくなった今思うのは、負担が軽くなった、ということ。これまでどれだけの負荷を自分にかけていたのか、実感がわいてきたこと。たいして使わないのに経済的な負担ばかりかかるイライラ、運転すればその時間知的な作業ができなくなるイライラ、保有を肯定する「家族のために」というキーワード、これらを素直に取り払うと、とても気分が楽になったということのようだ。
仕事に復帰すると、様々な思い通りにならないイライラ、そもそもどうしたいのか結論付けられないイライラが多発するのだろうが、所詮素材の組み合わせに過ぎない、できる範囲で対応するしかない、できる範囲を広げることは天祐を待つなり、自己研鑽を正しい方向性でする必要がある、等々のスタンスで対応していきたい。まずは、自分がどうしたいのかを考え、相手の思考タイプを読み取り、効果的なコミュニケーションを実現し、ということになろう。
もう一つの課題である、お金を産む無形資産の構築、については、素材の組み合わせ思考が定着し、世の中をより客観的に見ることができた時にできる気がする。自分で手を動かすのでなく、組み合わせと発想力を提供する、そんな将来像を描いている。