先生のはなまる
園児の頃、体が弱く皆勤賞とは一生縁がないとさみしい想いを抱く日がありました。
おたより帳に貼られる色とりどりのカラーシールたち。
それがいっぱいになればその先には金色に輝くあの桜の紋付御褒美シールが貰える仕組みでした。
心から尊敬しました。
私には到底成し得ることのない皆勤賞という偉業を達成する友達。
同時に勝手に気が遠くなる感覚に陥る私。
この感覚とも今はおさらばです。
私の組の先生は私をよく見ていてくれました。
あれだけの数の教え子を担当していながら見落とすことなく、私にしっかりと手を差し伸べてくださった。
「三日続けて来られたら皆勤賞のシールね」
それは時に二日でももらえました。
やさしい笑顔と声でした。
私の先生は愛とあかりと希望の種を植えていました。
あのえもいわれぬ救われた気持ち、近頃も似たような事がよく思い起こされます。
体質は生まれ持って一人ひとり。
ペースや資質もそれぞれ。
筋肉のつき方や柔軟の利き方、体力の尽き方だって千差万別。
個々のフォーム、輪郭に沿った動きが無理なく推奨され保護され尊重されるコミュニティ。
それを私は得たいし、知りたい、創りたいです。
家族という最も身近で暮らしの基礎、栄養となるHOMEで始めたい。
それにはまず私ひとりから。
それが無理なく自然に出来たらまた新たなる家、家族が組まれると思いました。
蛇足となりますが、
朝に生きても
昼に生きても
夜生きても
個人的にはどれでもいいとも思っています。
自分を制限する服を脱ぎ捨て、纏いたい衣を軽やかに羽織っていきましょう。