今思う事


自己肯定感

それらが非常に薄かった自分自身

育った環境の所為にする事は簡単だが

生きているからには自身の力でどうにか生きていく他ない。誕生した事は自己責任。

人間の特性として"無いものねだり"
があるが

手に入れた途端に興味などなくなるものだ

不遇、不幸に喘ぐ中で今は手に入れられない"モノ"を手に入れれば目先の幸福は得られるが

それらはタダの霞である。

生きてる事が幸せかと問われれば

即否定する。

生きることそのものが地獄である。

第三者に自身の存在を深く肯定されたとてそれは何も変わらない

自身はこの社会の中のモブキャラに過ぎず

社会に対する不平不満をなげかけたところで、この枠組みを変える力など一切ない事。

能力の面でも。

そんな人間ですらも愛を持って憂いているのが親族

だから逃げ出したい今日一日も"親族のため"に生きるという名目を魂に焼き付けながら生き切る。

"今"を売らずに"明日"を得ようとして生きて来た、放蕩者の自分は

時を経て劣化し、希少価値が下がった"今"をこれから売り捌く。

積む苦労も経験も、母体が経年劣化すれば、価値は下がる。

どうあがいてもどう破天荒に生きても、得られる自由など一切ない。

この齢で、自分は俗世の"常識""当たり前"に迎合する。

それ以外に生きていく術はない。

他者を思う心、自己犠牲で投げかける優しさは自身のエゴであり、ほとんどが役に立たぬ事を自覚した。

本当の優しさとは承認欲求の先にあるもの。
自身のエゴの先にあるもの。

欲望のその先を見てみたい。

今の自分に出来ることはただ一日、一日を生き切る事。

それ以外ない。先はひたすらに長い

報いを求めず、我慢する他になにもない。

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