今思う事
何故に家庭を持ち営んで行く事がゴールなのか理解もできず、ただただ時間を浪費し、ただただ何かを期待して生きていた。
享楽的に酒を煽り同じ立場にあるような人間と肩を並べクダを巻いて"実直に生きれば何かが変わる"と根拠のない希望を語りながら時間を食い荒らした
自分は無能であり、何もない人間である事を誤魔化すために日常から逃げて道化を演じていただけであり、紆余曲折を経て
自身を創り上げた親族に対して感謝を捧げながら、その者達が描く"幸せ"を満たすために"世"がいう"当たり前"の世帯を持ち子孫を残す事こそが、ゴールなのだと理解した。
"自分"という存在がある以上"社会"というものからは逃れられない
人間は産まれた時点で自分の尻を自分で拭わなければいけない。
親の所為でも周囲の所為でも、今現在の自分の不遇の所為でもない。
悲劇を演じたとて何もない。他者にとっての"当たり前"が自身の"当たり前"ではないように全ては自分の軸で進まないという事。
全てを"理屈"の上で理解していても"心"で理解せねばなんの意味もないという事
私はひたすらに空っぽだ承認欲求の権化だ
人はいずれ必ず死ぬという事。
そこから逃げ出した人間の末路が、今の私だ。
他者の為を願うならばまずは自らが何かを掴まなければいけないという事。先は長い。ひたすらに。
すぐには落ちれない。自分の意思だけでは生きれないんだ。
今になって理解した。
なんの根拠も希望もないがどうか自分に残された余生が、親族の為に使えるよう切に願う。否、祈る。私は何もいらないから。
最後の悪あがき。だ。