9/19(火)晴
ここまで全てを失うと、自身のこれまでの人生を他人事のように俯瞰できる。
その中で理解したのは
自分はあたかも"自由"に生きてるかのようで"他者"の意思を生きる傀儡のような存在だった事。
"酒"と言う名の合法ドラッグに溺れその場の衝動にまかせて生きているだけだった。
金銭というものからは逃げられないのにも関わらず、苦労して何かを積み上げて生きることに1ミリも興味を持たずに、ただただ享楽的に生きてきた。
見えない何かに期待しながら。
結果として障害者となり、自身が健常者であった時代に心の奥で見下していた存在となった。
抽象的とはいえ目標はあったが、アルコール依存症のような当時の状態で続けていてもそれらが叶うわけもなく。
現在は生きがいであった"飲酒"にすら興味も持てず、"生きる"という行為にすら意義を持てず、狭い部屋の床と同化し、1日の経過を待っているだけ。
選択肢の少ない就労を得るために応募こそしているが、本日は音沙汰もなく。
"自分、今の今まで良く生きて来れたな。"と感心しつつ
周囲に恵まれすぎていたなと再認識。
当たり前は当たり前じゃないと理解できたが、そういう解釈に至る事ができたのは今の地獄があるからこそ。
来るべくしてきた今の現状である。
自分は"刹那的""破滅的"に生きることに美学を感じて、望み通り死にかけた最下層の人間だが
ここにきてわかる事は何も美しくない事。
自由はない事。
否定していた社会に助けられ囚人のような末路を歩む事。
正直に言えば生き方は未だに分からない。
幸せって何だと窮地に追い込まれた今問われれば
自分を創り、心を傾けてくれた親族の恩に報いる事だ。
絶望的ではあるがその瞬間のために生きていく。
今日も生きた。
1日を凌いだ貴方に幸あれ。