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結局ただの人:THE BATMAN

バットマンとわたし

 2012年、16か17歳のときにiPod Classicの小さな画面でバットマン ビギンズを見て以来、この黒いスーツのおじさんのファンになった。クリストファーノーランの三部作やPlayStation3のゲーム、(そんなに理解できなかった)カートゥーンを買って読んでみたりして、10年後にこの映画が公開された。思春期に体験したノーラン三部作がすごく印象的で、その先入観で楽しむことができるのかわからなかったけど、梅田の劇場ですぐにそんなことは忘れてただただ熱中した。1年ぶりにこの映画を見たのでその話がしたい。

 どの作品にも共通するもともとのバットマンの魅力の1つは、ブルースウェインが何の特殊能力も持っていない、ただの大金持ちであることだと思う。キレると緑色になるわけでもないし、アズガルド出身でもない。金持ちで開発力のあるおじさんがスーツを着て苦悩しながら戦う人間味溢れる様がいい。それはどの映画も(だいたい)同じで、いわばバットマンの共通認識だと思う。しかし今回の映画は特にその人間味という点にフォーカスが当てられ、徹底的に人間としてのリアルさがある。

この映画:THE BATMAN

 地下鉄の乗客が駅で暴漢に襲われる冒頭数分。バットマンは暗闇から”歩いて”出てくる。乗客を助けるために殴り、殴られ、”歩いて”帰っていく。この時点でもうバートン版も、ノーラン版も、ゲームのものも、自分の中にあったバットマン像を全て忘れた。この映画ではバットマンがとにかく歩く。警察と一緒に歩くし、ペンギンのアジトにも歩いていく。人間味にあふれている。マントで滑空するシーンは一度だけ。飛ぶ前に躊躇って怖がり、着地をミスって墜落、足を引きずりながら歩いて退場する。(バットマン ビギンズでも同じシーンがあるが、洞窟で目覚め、マスクをつけた真のバットマンになってからはそんなシーンはない。)

 僕の一番好きなシーンはバットモービルでのカーチェイス。何が良いってバットモービルにブレーキランプが付いている。いつの時代も、どの作品もバットモービルはものすごくかっこいい。もちろんこのバットモービルも超かっこいいんだけど、乗用車であるマッスルカーを改造してジェットエンジンみたいなのを積んだ、こんなに手作り感のあるものは初めてじゃないか。ここにマスクを被った人としてのバットマンを強烈に感じた。ブルースがベース車をどこかから買ってきて、バットケイブで自分で改造とかしちゃったのかなとか考えるとたまらない。カーセンサーでベース車を拾ってきて、パーツの入手はeBayとか使ってくれてないかな。マジで。

結局ただの人

ヒーロー映画であるこの作品で、バットマンはコウモリだけど2本の足で歩き、自分で改造した車を乗り回し、頭をひねって謎を解く。超尊敬していた両親の不正を知って動揺したりする、割とウブなところもいっぱい見られる。それはどの作品にも共通しているかもしれないけど、この映画でのバットマンはヒーローというよりも、マスクを被ったブルースウェインという人間、みたいな表現がしっくり来た。完璧超人がヴィランを倒して終わり、みたいな映画は今はもうほとんどないかもしれない。それでも、人間味を存分に晒しながらマスクを被って街を守る結局ただの人、ブルースウェインが大好きだな、と10年以上ぶりに再確認できた映画だった。


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