曲直瀬道三
曲瀬道三は最も優れた学者の一人で「医聖」と称されるほどの都の医師であった。たまたま結石症治療を受けたイエズス会士フィゲイレドと語り合ううちに親交を結び、1584年12月、77歳のとき、オルガンティノにより受洗する。
ここで行われた会話は極めて現代的(普遍的)な内容である。
”日本の神々は過去の貴人である死者でありそれを偲ぶことは良いことではあるが、現世をどう生きるのか悩む人々にとって指針を与えるものではない。対してフロイスらが説く言葉はすべてにおいて公正なことを教えようとしていることを道三は言っている。過去の貴人である死者を尊ぶこと、及びその儀式を生者が何かを犠牲にしてまで執り行うようになるまでに傾倒すれば人は道を誤る。
そして、司祭はそれぞれが力に応じてなしうる以上のことは求めないことを説いた。それがフロイスらの考えるところ信じるところであった。
曲直瀬道三の石碑
十念寺:京都市上京区寺町通今出川上ル鶴山町13
十念寺の門前に曲直瀬道三の石碑がある。寺の中には入れない。この寺の中に曲直瀬道三の墓と曲直瀬道三顕彰碑文があるが、「施薬院全宗」(後述)の墓もここにある。全宗の墓は、小さいが重々しい木造の霊廟の中に収められている。門前の石碑だけでわざわざ見に行く価値はないので、「旧三井家下鴨別邸(500〜900円)」や「出町ふたば(名代豆餅5個1000円:行列あり)」「満寿形屋(鯖寿司ときつねうどんセット1300円)」などのついでに訪ねればよいだろう。