2023年11月16日
16日、友人の誕生日だった。大学に入ってからサークルで知り合った友人だ。彼女はびっくりドンキーでびっくりサイズのいちごミルクを頼み、私は普通に夕飯を食べた。
私は友人の撮る写真や、紡ぐ言葉がとても美しいと思う、日々の中にある小さな美しさをきちんと捉えて居る人だ。
私は彼女がとても好きだ、人間として尊敬に値する人だと思う。彼女が今日は誕生日だからと、クリスマスの飾りのような可愛らしいネックレスを見せてくれた。
その事に、かわいいと口々に私は彼女を褒めた、誕生日なのだから、うんと褒められて可愛らしいと言われて当然と思う。
友人は照れながら顔のサイズほどあるいちごミルクを懸命に飲んでいた。
その後、仲の良い先輩が来て他愛もないことを喋って22時を迎え、解散の運びとなった。
私は人と別れると、途端に孤独に苛まれる。人間、いや、文学や芸術に身を置いている以上、孤独というのは付き合って行かなければならないもうひとつのものの様で、なんだか憎めない。
ほんの少し前までは孤独に慣れていた、いや慣れていたというよりもそうで在らなければならないと思っていた。
だからこそ、人とわざと距離を置いてみたり、あまり人に踏み込まないようにしてきたつもりだ。
大学に入ってから、たくさんの友人が出来た。本当に過去の自分が見たら驚く程にたくさんの友人が出来た。
もちろん前述した通り、彼女もそのひとりだ。彼女とはよく遊んでいると思うし、このような私についてきてくれるというのはとても有難い話だ。
でも、不安になる。私は上面が厚いので平気で思ってもないことを言う人間だ。
彼女達と別れる時も平気なフリをして、別れている。本当は寂しくて悲しくて堪らないのに、そうしている。こういった所が自分の嫌いな所のひとつだ。でも、全てをさらけ出してしまえばそれは、友情でもなんでも無くなってしまうとも考える。ただの依存だ。彼女達とは友好な友人関係をこれからも築いていきたいと思う。思うからこそ、恐ろしい。
依存は甘美な毒だ、自分が思っていることを相手にも求めてしまう。私が0か100かの人間だということも関係しているだろうが、それがたまらなく、怖い。結局のところ、私は独りになることを恐ろしい程に怖がっている、怯えている。ああ、彼女達もこのように思ってくれるのだろうか。
気持ち悪いと一蹴された方がいっそ清々しさまで覚えてしまうだろう。
その時が来るまでは、不安定なこの気持ちを楽しんでみたいとさえ思う。