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生存と存続

とにかく、鬱が酷い。
鬱のせいで昨年末から本当に何もできていないし、良いことはあまり起きない。取り敢えずのところは生きている、といったところだ。
2024年8月現在時点では少しだけ回復したように感じるが、これまでの生活が荒み過ぎていて今はその尻拭いをしながら生活をしている。兎にも角にもこうしてノートパソコンを開いて文章を書くまでは回復をしていることは良いことだ。
ノートパソコンを開いたのは本当に久しぶりで、詩や小説(と言っても小説は二次創作だが)の創作は続けていてもその全てがスマートフォンでのフリック入力に頼り切っていた。夏休みに入るために出された前期末レポートがなければ本当にノートパソコンを開く習慣が消えていたと思うと、13万で買ったmac book airが開閉できる板として私の机の上に飾られているだけの機械生活を送ることになっていた。本当に宝の持ち腐れである。

鬱が加速した原因はいくつか見当がつく、以前から投薬治療をしていたのをやめたことが大きいがそれ以外にも冬になったこと、春休みを過ごしたこともある。私は酷い冷え性もあり冬は本当に使い物にならない。それでも強制的に人に会うと落ち込んでいる姿は他人には見せられないという意地が生まれるためになんとか精神を保っていられるのだが、休みに入るとそうはいかない。人に会うというイベントは起きないし、定期的に会う友達も少ないために全て家の内部で生活が事足りてしまう。そうなると行動する時間よりも不要なことなどを考える時間が増える。家の明かりもろくにつけずに一日中ベッドの上で食事も取らずに何がしかを考える。そんな生活を続けていると段々と思考がぼやけて何も考えられなくなる。眠れもしないから本当に虚構の時間を過ごすことが増えていった。
一番鬱が加速していたのは今年の2月の頃だった。この頃は記憶が薄らとしかない。日々、眠れもしないのにベッドに身体を横たえては瞼を開閉する。いつもの鬱というのは、希死念慮がひどく身体を蝕むような感覚があるのだが今回は少しだけ違った。
自他の境界や世界との境界がなくなっていく感覚がじんわりと身体の内部を埋め尽くすような、肉体と精神が砂になって溶けていくようなそんな感覚。「死にたい」という感情よりも「本当にこのまま消えてしまうのではないだろうか」という予感が脳内を占めていた。その頃はそれをなんとも思っていなかったので予感だけで済んだ。日頃から楽しみにしている舞台観劇も一ミリも脳内に入ってこず、本当にもったいないことをしたと思う。

春休みが終わり、生活が始まると鬱は段々と日常に希釈されていった。けれど、今までとは何もかもが違った。いつもなら気合いで出席している授業も欠席することが増えた。幸い昨年までの自分が出席や単位取得においては頑張ってくれていたのでさほど危機感はない。
だが、人に会っても、趣味の時間を過ごしても鬱が拭えない。いつも人の形をして現れて私を脅し続けた希死念慮が、今はフィルターのように感情の管を覆っている。今すぐに死にたいという突発性はないものの、何もする考えが浮かばなかった。時折外出をして、帰って眠ることの繰り返し。生命維持装置が切れかかっているような感覚を抱えてぼんやりと過ごしていたら、文学フリマの出店希望も学園祭の出店希望も出し忘れてしまった。
大抵、いつもの場合は暖かくなれば心身の体調がよくなるのだが、今回はそうはいかないようだった。2024年8月現在も鬱は続いている。
暑くなると鬱は熱によって浮かされると思っていたので、対処法に困っている。日中鬱が酷い時は浴槽に水を張って全身を浸すこともあるが効果は薄い。

今年になってから、今現在に至るまで様々な変化と決断をした。鬱の合間でも時間は待ってくれないのだから決めるしかない。正常な判断はできていないような気がしなくもないが決めてしまったのだから仕方がない。
家族のこと、親族のこと、進路から今後の人生のスタンスまで、よく決断をしたと思う。
その中でも未だ尾を引いているのは5、6年続けた趣味をキッパリやめると決めたことだ。嫌いになったからやめるということではなく、これ以上続けていても苦しくなるだけだと思い、やめると決めた。そう言うと聞こえは良いが要するに心が折れてしまったわけである。
私が続けていた趣味は長期の時間を取って、そこそこの人数が集まりその中で関係性を築いていくようなものだった。そのようなことが本当に楽しかったし、達成した時の喜びはひとしおだった。そんな趣味もやめてしまえば心の余裕が出来た。今までの楽しさは確かに本物だったが、心の疲弊が伴っていたのだと思うと複雑な感情が芽生えてくる。
例年スケジュールがパンパンに入っていたこの夏休みも予定がほとんど入っていない。
趣味のサークルも立ち上げメンバーだったが、この機会に退会。後輩に引き継ぎもできたので趣味をやめた私は本当にいる意味がなくなってしまった。自分で決めたことだが、やはり寂しい。5、6年ずっとやってきた趣味なのだから当たり前なのかもしれないが。
サークルで出来た友人は疎遠になってしまうかと思ったが、そんなことはなく未だに出かけたりなどをして遊んでいる。嬉しい誤算だ。
趣味の穴を埋めるために最近は舞台観劇を増やしたり、旅行の予定を立てたりして過ごしている。鬱が薄まってくれて本当によかった。

ゲッターズ飯田によれば、今年は私にとって最高の年になるらしかった。
今の所、最高感は一ミクロンも感じていないのだがまあ占いは気の持ちようなので許していることにしている。
休みの期間も生活を送るために、生命維持装置が消えないように夏を生存し存続するために。


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