【朗読】ブレイン・ハック
脳を覗いている
人の家にお邪魔する時、必ず目で探してしまう場所がある。
勿体ぶらずに率直に言おう、本棚だ。
その場所は持ち主の知識欲や焦燥感と深く結びついている。
どの領域に興味や知見があるのか、また無いのか。
一時的に補填しようと思っているか、今は諦めているのか。
今日に至るまでどのような問題意識を持っているのか。
誰の言葉を信頼し、何処に人生の大半を割いてきたのか。
どの領域に無関心で、今日まで触れずに生きてきたのか。
こんなにも分かりやすい場所は無いとさえ思う。
安直な結論だが、対象者の脳内を構成する言葉の源泉がそこにはある。
文字通り疑問が沸々と湧き上がるだけでなく、
表層化していない、私にとって知らない一面が潜む。
だからこそ隠したくなる気持ちもよくわかる。
時折、それが布のカバーで隠されている事がある。
隠すだけの羞恥心をどの本の、どの言葉で感じているのか。
何が暴かれることが相手にとって苦痛で、不都合なのか。
他者からの視線を意識し、隠す判断をしてもなお、いつでも手の届く場所に取っておきたい本があるということだ。
捨てたり、売ったり、何処かに預けるという選択肢を回避した背景を鑑みると、何という相反した感情なのか。
人間味を感じられるその行為に愉悦を感じてやまない。
隠されているだけでみるみる想像が捗る。いつ中身を見せてくれるのか。
決してこちらからは開かず、触らず。時間が経ち自ら布を開けてくれた時、私の心の中に興奮が迸る事は説明の必要もないだろう。
無機質な部屋
逆に全く唆られない本棚というものもある。
それは必要に駆られて否応がなしに買った本で埋め尽くされている場合や、その領域において知見が必要な事が公になっている人の本棚だ。
大学時代、教授の研究室に行くとその教授の担当領域の書籍が壁一面に配置されていた。金属製の組み立て式の本棚に、分厚い書籍が所狭しと並ぶ。
無機質な部屋だった。後は机とPC、仕事の書類が配置されているだけである。
大前提としてここは教授の仕事部屋だ。その専門領域についての書籍だけでも膨大な量が前の大学から箱詰めにされて届いており、可能な限り配置していたようだった。
機能性としては素晴らしい。余計なものが何もない。美しいとさえ思った。
むしろ家賃を払うから、このレイアウトの部屋を私の為にもう一つ作って欲しい。
研究室には好印象だったが、本棚が好きな私の心は驚くほど無反応だった。
学生や他の教授といった、他者の目に晒される事を前提としてレイアウトされた、いわば見られても良い本棚である。
そこには現実に対策する為の便宜しかなかった。寄り道、遊びがまるで存在しない。美しい皿だけでは何も面白くない。盛られた料理との調和が見たいのだ。そこに至るまでの試行錯誤と変遷の経緯こそがスパイスなのだ。
この殺風景で無機質な部屋の一角に、一つでも毛色の異なる本があったらどうだろうか。
例えば、好きな建築物の写真集。あるいは敬愛する彫刻家の半生を描く自伝。芥川賞を受賞した新進気鋭の小説。ふとしたときにページをめくっているであろう詩人の小さな詩集。栞が挟まったままの文庫本。
停滞し、静止した部屋に動の要素が現れる。
深い濃淡、言い換えるならばその歪みこそがその人らしさを作る。
この歪みを隠そうとする人間には興醒めする。勝手な物言いだが、金輪際、腹の中を見せ合うつもりが無いのだなと思う。また周囲の人間に、自分の歪みを隠し通せるという、甘い見積もりを立てている事も滑稽だ。
浅い部分で他者を舐めているその態度はいつまで続くか見物でもある。そんな演技力の持ち主ならば、間違いなく俳優業で一生食っていけるだろう。
自らの欲望に真正面に向き合う事にも恐怖しているのかもしれない。
偽りの姿でしか相手と相互的な関係性を築けなかったのだな、あるいは演技で丸め込む、それが可能な相手としか関係性を築かなかったのだなと仮説を立て、過去の言動や行動からそのイメージを肉付けしていくだけだ。
嗜好に他者の存在は不要
上記を踏まえて考えるならば、他者の存在を包括した時点で、本当に心の中から湧き出る喜びや止められない学習欲の類では無いのでは?と問いを立てたい。見せる為の自己プロデュースに過ぎない。
また「何処まで来たら終わり、知識水準として安定する」という線引きが根底にあるように思える。
一度気になったら何処までも知りたいのが人間の性分では無いのか。日の目など浴びることも考えず、自己満足の為にひたすらに法外な時間と労力を注ぎ込む。その計算外とも取れる、一見無駄なその回り道に光が差し込んだ時に人の心は動くと信じている。何の為に最短風の経路を選ぶのか?
その説明できない動機こそが歪みであり、その人の深みを色濃くしていく。理を無視する事こそが、実は極めて効果的な生存戦略なのでは?と思っている。そこにはその行為に至った、経緯への質問が生まれるからだ。
問いのない場所に発展はない。そして私たちは常に矛盾を孕んでいる。
その相反する不条理さが人間臭さを醸し出し、その人の魅力たらしめるとさえ感じるのだ。無条件に信じたり、好きという感情に言語化を求めない。
その人にとっての聖域、その無菌室を静かに視線で領空侵犯したいのである。
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