【朗読】振られた数値との折り合い
実感を伴い飛躍する価値
時折、ぼんやりと商品や体験に振られている価値について考える。
1日の終わり。抜け殻のようにくたびれた体を惰性で動かしながら銭湯に行き、露天風呂で体を解きほぐす。管理の行き届いたサウナでじっくり汗をかく。
2時間近く温冷交代浴を繰り返したあと、体を良く拭き、綺麗に洗ったTシャツに袖を通す。870円。
帰り道にお気に入りのクラフトコーラを流し込む。
全身に甘味とスパイスの香りが駆け巡る。その日の事が思い出される。
320円。
ブルース好きの店長さんが壁にレコードを携え、素晴らしいBGMがかかっているお気に入りのコーヒーショップのアイスコーヒー。180円。
高校時代から欠かさず食べているガリガリ君。
値上げの時に赤城乳業の社員さんが頭を下げているPRを打っていたことが頭の片隅によぎる。80円。
半年毎に更新が来る、市が運営する茶会教室。
稽古代と場所代、お菓子代、お道具代も含まれて更新料18,700円。
100発の弾丸購入料と射撃場の利用料。22,600円。
DTMで音楽制作をする為に欠かせないMacBook。300,000円。
ジャズセッションの演奏の為に買ったエレキギター。650,000円。
それぞれの値段を高いと感じるか、安いと感じるかは人それぞれだ。
しかし上記は値段以上に多くの喜びがあるように私は思う。
実感は無く、比較的軽さを帯びた価値
過去に選んで積み立て設定している投資信託が右肩上がりに評価益を上げて、何もしていないのに資産として利益が計上され、スマホに通知される。
メールボックスには昨年支払った納税金額に応じて、返礼品が間も無く自宅に到着するという通知と、自治体からの感謝の連絡が届いている。
家電を買い替えた際に支払った分の数%が還元され、数万円分のポイントが貯まっているが、間も無く有効期限が切れるので早く使ってくれと催促の連絡があったような気がする。なかったかもしれない。
入っているけれど有効活用しきれているとは言えないサブスクサービス料金が毎月定額分引かれては、その度に観たいと思っていた映画やアニメを思い出したりもする。
できる限り可視化し、入金と出金の流れを追いかけているつもりだが、年々大きくなっていくその金額にどうも体感が追いついていかない。
誰かの成績表の点数を横から見ているような具合だ。自分のことなのに、どこか遠くの国の財政状況の話をされているようで、内容が頭に定着しない。
大切なことのはずなのに。どうしてこんなに自分事として考えられないのか?そもそも実感を伴った消費と伴わない消費の差異は存在するのか?
小さく完結しているはずの自分の経済圏に関しても数値を追いきれず、一元化する為に定額サービス代を払って有料版の家計簿アプリを使用している。
効用ブランコ
一つここで整理するとすれば80円で私は心の底から冷たくて美味しいと感じられること。また870円で気持ちをリフレッシュできること。
この時は既存の経済圏から逸脱し、自己満足の中で非常に高い効用を享受できる。ある一定のラインを超えると等しく重要なピラミッドの階層に入るのだ。
また賭けた初期投資を回収しようという気概が生まれ、より一層練習に身が入ることであったり、損益分岐点を意識して作業に打ち込むようになる。
この時は、期待収益率や減価償却の観点で行動を観測できる。
収支を追いきれないということは、自分が大切にしている80円の可能性を軽視している事につながる気がするのだ。消費行動に関しては、基本的に自分の意思で判断できる。払えるけれども納得して支払いたい。逆に納得できないものには可能な限り支払いたくない。
実感として数値に左右されない、いわば自己評価軸の中での喜びが感じられるか。あるいはその喜びが直接的に感じられなくとも、金額が設定された経緯に納得して消費行動ができているか。そこに他者の評価が介在していないか。いた場合はそれを認識した上で、選択できているのか。
いずれも実感を伴って受け取りたいし、手放したいのだが、そこはまだ改善の余地がある。私はまだ上手く其処と折り合いが付いていない。