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看取られるということ
理想ってなんだろう
看取られたいってなんだろう
家族が見守るなか静かに息を引き取りました
とかって聞くと、すごく美しい家族愛を想像するしそんな逝き方って素敵だなって思ってた。
でも夫は一緒に住んでいたのに1人で逝ってしまいまして。
さあ寝ましょう!と2人同時に寝室に行くと2人とも寝れないという入眠障害を患ってたので、毎日夫の希望でどっちが先に寝るか決めてたの。
その日は私が先に寝る日で夫は居間でゲームしたりしてたっぽい。
んで、朝7時に起きて夫を起こさなくちゃと思ったら寝室にいないわけ。
あの人、あとから寝る日は居間のソファか畳の上で寝落ちすることが多いから、目覚めた時に寝室に夫がいなくてもさほど気にしてなくて。
そして居間に行ったら案の定、畳の上で横になっててさ。
「起きなよーっ」て声かけてコーヒー入れても起きてこないからまた様子を見に行ったんだけど、なんとも言えない違和感。よく見ると足に紫色の斑点があって、その瞬間にこれはもうダメなんだって悟った。
亡くなってる場合は警察だという知識がなかったから119番して、それでも家の電話からかけないといけないっていう妙な冷静さは残っていて。
結局、救急隊員が来て亡くなってることを確認してみせてくれて警察も呼んでくれて。
そのあとは怒涛だったけど、何が言いたいかと言うと、孤独死が嫌とかなんとか言うけどそれはもう仕方ないんじゃないかなと。
一緒に暮らしてても孤独に逝かせてしまったのだから、一人暮らしならなおさら孤独死を免れるなんて奇跡の技だと思うのよ。
死亡推定時刻から私が気付くまでに2時間あって、そのあいだ1人にしたことを思うとやるせないけど、でも自分も1人で逝くだろうから待ってて!と思ってる。
死んだら何もわからないし死ぬ前に意識失えばなお分かんないし家族に囲まれてても、囲まれてることすら分かっていないかもしれない。
理想の死に方を夢想するって意味ないなと夫のことで実感した。
私は死ぬ時は別に1人でもいい。
家族に看取られたいとも思わない。
ただ、もし死後の世界とやらがあるとするなら、できれば夫と同じところに行きたい。
生きるとか死ぬとか、そんなこと重く受け止めたくないし自然の流れで決まっていくことなんじゃないかと。
もし死ぬ時がくるとして、足掻きたくなれば足掻くし、泣きたくなれば泣くし、家族がどうとか1人がどうというより死ぬその瞬間までその自分の感情を正直に表わせることができれば、それでいいんじゃないかと思ったりする。
そんな瞬間きてないから知らんけど。
おわり