
【きらめきの音がみえる】
「就職おめでとう」
父がほんの少し口角を上げ微笑んで、ワインのグラスを向けてくる。隣に座る母は寂しそうだけど嬉しそうな。なんとも微妙な表情で、同じように私にグラスを向ける。妹は柚子酒のくびれたグラスをにこにこしながら持っていて。それに対して、私のチョイスのビールが全然合わないなあと感じつつ、「かんぱーい」照れてしまったから、ふざけた言い方になってしまうも控えめにジョッキをぶつけた。
カチン。
グラスが重なり合う瞬間は、いつも小さな星が生まれるのが見れる。
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初めてお酒を口にしたのは大学1年生の時。サークルの新歓で周りの雰囲気になんとなく合わせて頼んだビールだった。
いま思い出しても、不思議なくらい、あの時はビールが不味く感じたし、これをピッチャーで呑み顔をゆでだこの様に真っ赤にして、中身の無い耳障りな笑いばかり零す先輩や同じ新入生を、阿保らしいなんて少しだけ心の内で思っていたのを思い出す。その場にいる自分も阿保らしいことすら棚にあげて。ねえ、本当、ちょっと、かなり恥ずかしい。でもその場その場に流され合わせられ、流し合わすことをやめられなかった。
ただただ、やたらと繰り返される乾杯を無意味に感じ、早くここから去りたいなんて考えていた。誰とも乾杯なんてしたくない、家に帰って大好きな彼氏や親友と安いコンビニのお菓子つまみながら、安い缶酎ハイ呑むほうが楽しい。と、思っていたのをとてもよく覚えてる。
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アルバイトの「乾杯」は楽しかった。誰かの歓迎会、送別会、ノリで開かれる目的の無い呑み会。仲が良く、信頼する人達とのお酒の席はカラフルな星がたくさん煌めいていて。ぱちぱちきらきら、音を立てて。
「かんぱーい!おつかれー!」明るい声で始まるその宴は、明日になれば何を話していたか数mmも覚えてないくらいどうでもいい話と、業務や人間関係、ひいては、それぞれの過去や未来の話といった真面目な話で、ぎゅうぎゅうに満ちていた。ただただ、楽しくて笑って、真剣に議論をし合い、そしてまた笑い合う。何度も、ぱちぱちきらきら、音が鳴って、降って。
ビールも、乾杯するのも、好きになったのは多分あの頃だった。
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そういえば。大学の時に付き合っていた彼とする夜中の「乾杯」も、とてつもなく好きだった。
同い年で同じアルバイト先だったけど、フリーターだったから求められる業務時間は社員並。仕事終わりのあの人はいつも疲労と倦怠感に包まれていて。うん、疲れていた、凄く。日付変わって帰ってくるのは毎回のことだった。大学から近いことを理由に家に泊まらせてもらう代わりに、時々ごはんを作って待っていたんだったんだっけ。彼はほぼ毎度仕事帰りに缶ビールとアイスの入ったコンビニのビニール袋を下げて、玄関のドアを開けてきた。「あ、また作ってくれたの?嬉しい〜!アイス買ってきた、どっちがいい?」
疲れてるだろうに、私の、私なんかの、顔を見てほんの少し綻ぶその顔が愛しかった。"それなりに"溺れていた。ううん、きちんと、好きだったのだ。"それなりに" "かなり"溺れていた、あの頃。
「かんぱーい、今日もおつかれ。」低い声で静かに声が吐き出され、カチリ。2つの缶ビールが厳かに重なり鳴らされる。
彼がごはんを食べ終わったあと、深夜1:00頃、2人ベッドの前で座り込んで。全然面白くない深夜番組を観ながらする「乾杯」は、小さな小さな、薄ピンクと紺色の星が弾け舞っていた。
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思い出せば、"誰か"と一緒にお酒を呑むとき、"乾杯"という一言は必ずあった気がする。そしてそれは、殆ど誰しもが経験したことがあるはずで。
それは魔法の言葉だった。愛しい人達と、楽しい時間が始まる煌めきの合図だったのだ。
グラスが重なる音も。缶ビールが重なる音も。その全てが私は今でも凄く好き。
出逢った人達、中学高校の友達。戦友。大学の学友。アルバイトの友人。仕事の先輩や同期。そして生まれた時から見返りなくそばにいてくれる家族。愛しい人達とする"乾杯"の時間は、どれも温かく、心にじんわり、ふかくまで、ずっと溶け込んでいる。忘れることのない、それは一種の娯楽にも似ている。
20歳という、合法的にお酒を嗜める歳になってから5年が、経った。数えきれない程度には"乾杯"を重ねてきたから、今となっては、あの初めて呑んだ新歓でのビールの味も少しは愛せると思う。人にとって、気心知れてる人とでなくても、理由も意味も無くても、お酒を呑んで笑い合う瞬間が人生には必要な時もあるのだということを学んだ。大人になった私だから言えること。お酒が好きな人も勿論いるけど、"乾杯"と言い合うあの空気感が好きなひとはこの世界には沢山いると思うし、救われてるひとも、いるのだと。
お互いおつかれさまだね、とか、久しぶりだね、なんて。同じ感情の、わざわざ伝え合わずとも重なる共有から始まる、あの幸せな満ち足りた時間。
私はお酒が特別好きというわけではないけど。あの時間を求めてしまうから、ああ、だから私も"乾杯"が凄く好きで、愛しいのかもしれないね。
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父と母の顔を見ながら、この5年間してきた色んな"乾杯"が頭の中を巡った。グラスやジョッキ、缶を愉快にぶつかり合わせる瞬間、そのどれもが色づいていて、大きい星や小さい星、はたまたハートだったり、ピンクだったりベタにイエローだったりが、煌めき弾けていた。
そして、これから出逢う人達とも、それはきっと為されるのだ。きっと。
「遠く行っても頑張ってほしいね」父がワインで頬を少し赤くしながら呟く。
「でもなんだかんだ家を出られるのは寂しいな」母がおつまみを咀嚼しつつ複雑そうに伝えてくる。
それを聞き、ちょっと泣きそうになった。両親と同じ"大人"になった気でいたけど。お酒がのめるってだけで同じ土俵に立てたつもりでいたけど、全然、全然そんなんじゃないただの甘い、年齢だけ大人のフリした娘だと、自分で感じるのはこういう時だ。
親から巣立つ事は一般的に当たり前なのに、私はそれに倣って同様に親元から完全に独り立ちするというのに、それを寂しく感じるのだ。情けない娘だね、わたし。
けれど、全ては、父と母のことを尊敬し、そばに置いてもらえたことに感謝をしているからだ。
「お仕事、ちゃんと頑張るね」
寂しいのを堪えて、笑って意思表明する。半年で辞めて実家帰ってこないようにするね、なんて冗談交えて。ジョッキの滴が冷たくて気持ちいい。
父が笑って、3杯目の焼酎のグラスを向けてくるから、私も同じくジョッキを向けた。
カチン。
それは、愛しい人達との魔法の合図だと思う。
人生、なんだかんだあるけど、楽しいことたくさんだよって、その音が、教えてくれる。
1人じゃないから大丈夫だよ、って。
相手によって、弾ける星の大きさも色も違うけど、そのすべてが後からかならず愛おしくなる。
どうしようもないわたしだけど、
エゴでもおごりでも自意識過剰でもない、
透き通るような純粋さと優しさを以てして、わたしを気にしてくれて愛してくれて、そばにいてくれる大切な人達が沢山の星をその瞬間生んでくれる。
またみんなで"乾杯"がしたい。
脆くて優しくて、鮮やかで愉快で楽しくて、
ほんの少し、ばからしくて、そんな時間を、星を沢山煌めかせよう。
そんな日が、どうかまた来るようにと願える今という幸せに、未来の愛する私と周りの人達に、
"乾杯"
ぱちぱち、きらきら。星が舞う。
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fin.