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自然との付き合い方の中で見つけた自分の居場所①

ここまで、一気に今に至るまでを吐き出すように書いたけれど、読まされる側の人は、この人何?と思われたかも…
ともかくこれまでを出し切ってしまわないと先に進めない気がして、忘備録のように書いた「これまで」なので、ご容赦を。
これから」は自分の思い・やりたいがいっぱい詰まったストックホルムでの生活と、その中で見つけたいろいろな自然との付き合い方を紹介していければと思う。

自然が舞台の二つの視点の行方

 初めて降り立った時のストックホルムの印象は、静か、匂いがない、寒い!
その代わりにあったのは、目の前の大きな木、外に出れば踏める土、ちょっと歩けばある公園…
そんな四季の変化を感じられる身近な自然の環境には、すぐにどっぷり浸ってしまった。

スウェーデンのことは何も知らずとも、自然保護協会の自然観察会活動での自然保護と、YMCAで培った野外活動の体験から得た、自然を舞台にした2つの視点を融合したいという野望を胸に…

・その関心をそのままに、ストックホルム生活が始まってすぐ、自然保護協会(Naturskyddsföreningen)の会員になったのが、スウェーデンの野外生活との関わり合いへの一歩かもしれない。
その当時はあまりインターネットを使っての情報が得られなかったのと、スウェーデン語ができなかったので、ただ会員になって自然保護に触れている状態。
生活を形作るのに精一杯で、自然のことまで目が回らなかったのが本音ながら、何かに加わりたくても、何ができるかさっぱりつかめずジリジリしていた。自然保護協会の活動そのものに加わりだしたのは、かなり後の話。

・そんな時目に入ったのが、ストックホルム日本人会の会報に書かれていた、幼児のための環境教育活動を行っている野外生活推進協会(Friluftsfrämjandet) の記事。
お子さんがその傘下の保育園に通われたことから、その活動を日本に紹介され、今やその協会の理事になられている高見幸子さんが、森のムッレの自然教室から発展した環境教育の世界を紹介されていた。
どこに自分の関心を育てる種が転がっているかわからない!
活動だけでもなく観察だけでもない、日本で接したことの無いものを感じ、早速高見さんに連絡をとり、会員になってリーダー研修を受けることに。

森のムッレの自然教室用リーダー研修
スウェーデン語とスウェーデンでの自然体験が今一つ頼りない私でも、研修は私の活動意欲を十分刺激した。
理論より実際に野外に出て、どういった所に五感を集中させて目を向けて自然を見るかといった事を言葉ではなく態度で示しつつ、実際の活動をどういう風に展開していくのかといった流れを感じさせるわかりやすいものだったからだ。
研修のリーダーは初のムッレの保育園を立ち上げた方で、その方のオープンかつ参加者の関心・好奇心を引き出そうとする、待つ姿勢のあるゆったりした雰囲気にもとても惹きつけられた。
動植物をみながら、「これ、なんだと思う?」「どんな風に感じる?」…といった質問がそこここに挟み込まれ、反応が出てくるのをじっと待っていながら、時折雰囲気を変えるために歌や遊びが入り込む。

今や、この森のムッレの自然教室型幼児野外教育も日本語で書かれたものも多数あり、日本の保育園などで実践されている方々も多いので、詳細については省くが、先入観なく飛び込んだ実践の場での第一印象は、Welcome/楽しさだった。
奇しくも、大学院での恩師の「異文化の地でフィールドワークを成功させるには、先ずはその社会が愛せるかどうかが要」という言葉と相通じるのではないか🤔
先ずは、その場所が好き、何かができるのが楽しいという思いがあれば、それを成り立たせる社会・環境を守っていこうという姿勢に繋がっていくということや、だからこそ小さなころからの働きかけが重要といった基本理念がすんなり身体に入って来る。

おまけに、その研修の内容そのものは、自分たちに与えられた場所を5感を駆使して、いろいろな方法で楽しんでいくのを実例を通して知っていくのだけれど、楽しさの中、そんなに特別のことを知らなくていいんだ!という気持ちにさせられる。
大切なのは、気負わずに、そういった体験を楽しいと感じられる心、自分には何ができるんだろうと思いめぐらす想像力、知らないものを見つけていこうという探究心、自分の中にあるものを使って何かやってみようという冒険心などが大切なんだろうと、研修に関わる人々の姿から学んだ。

その研修を原点として、スウェーデンでの自然との付き合い方のいろいろが始まったが、いつも楽しむ心、想像力、探究心、冒険心をもって、新しい場所・機会・人々と接してこれたのも、この体験によるところが大きい。

実はこのことは、遊び・学びの場に集ってくる子どもたちにとっても当てはまることなのだろうと思えるようになったのは、実際の子どもの世界に接するようになってからだ。

ともあれ、身近な自然を舞台に、その時に特徴的にみられる自然のものをテーマにしながらも、それが主役というより、それを見て・観察して・感じていく子どもたちを言葉や遊びでサポートしていくゆったりした流れに、私だったら子どもたちとどう過ごそうという想像が湧いてきてワクワクし出す。

ありそうでない決まった形のプログラム。プログラムを決めていくのは子どもたちの好奇心とやる気かも…もう、研修中からやる気がムクムク湧いてきて、どうやって自分が関わる”森のムッレの自然教室”を開けるのかが頭を駆け巡る。
幸い、働き始めた補習校で出会う人々を通じて、日本人の子どもたちとの繋がりもでき始めていたのを、高見さんという力強い味方がお尻を押してくれた。高見さんは、私にとっての「スウェーデンの野外活動」への案内人。

そういった存在と出会えるのは大切だ。

やっぱり、やってみよう!
森のムッレの自然教室は多くの場合、保育園の日常の中で行われるようになってきているが、稀に個人で土・日の休みを使って実施されることもある。私には日曜日があるので、もうやってみるしかない。

日本の自然保護協会とYMCAでの野外活動の経験を下敷きにしつつ、研修や助言を下敷きに、一歩を踏み出したのは、ここに来て5年目くらいだろう。

子どもを持つ日本人のネットワークを頼りに、日曜日の休みに小さな子どもたちを集めての「森のムッレの自然教室」を始めたのは、補習校で出会う子どもたちから身近な自然がありながらもそこで遊ぶ体験が少ないのを感じていたからだ。
すぐ近くに、自由にベリーを摘んだり、小屋を作ってみたり、転げまわったりできる自然の遊び場がたくさんあるのに!

ある程度決まった身近な自然に、定期的に決められた期間集まる日本語での「森のムッレの自然教室」を数回行うことで、段々ストックホルムの自然を使っての動き方が分かってきた。

それと共に、私が関わりを持つ子供たちの年齢層が高い、様々な地域に散らばって住む日本人家族を集める大変さ、日本人家族たちの忙しさ…から、「森のムッレの自然教室」の設定が難しくなり、単なる「森の自然教室」に変わっていった。
ムッレが登場する活動は保育園児程度を対象にする内容なのと、野外生活推進協会の会員のための活動という制限がついていて、自由に不定期に異年齢が混在した活動をし始めると、協会から離れざるを得なくなってしまった。
おまけに、仕事・勉強が忙しくなり、本当に不定期にしか「森の自然教室」が開けなくなっていったのだ。

身近な自然全てが遊び場の学童での経験
・方向転換
それと共に、日本語をツールとして仕事をすることが多く、スウェーデンにいながら日本人社会に埋没していると感じ、方向転換を画策。
スウェーデンの労働市場に切り込むためのFritidsledare:余暇活動指導員の資格を取ろうと、Folkhögskolanで2年間学んだが、奇しくも私が選んだ学びの場はムッレのリーダー研修が行われたストックホルムコミューンに隣接するLidingöという島にあった。

この島にはムッレの生みの親のGösta Frohmが住んでいたり、ムッレの森の教室がメインの保育園第1号があったり、野外生活推進協会傘下の学童、学校そして豊かに遊べる身近な自然環境があって、私にとっては絶好の遊びと学びの場。
コース期間中には、Fritidledareのコースを出たらすぐに遊びのプロとして働けるよう、いくつかの仕事場で実習をするのだが、野外生活推進協会傘下の余暇活動の場(学童)を選んだことが、
その後の私の自然との付き合い方を大きく変えた。

・野外生活推進協会の遊びと学びの場
野外生活推進協会にはI ur och skur(どんな天候でも)という子どもの遊び・学びに関連する事業を取りまとめている分野があり、保育園児を対象とするMulle:ムッレの次は、学校の低学年児を対象とするStrovare:ストローバレというグループに繋がっていく。
そのストローバレの子どもたちは、放課後の余暇活動をする場への参加をコミューンが保障することになっている5/6歳から8/9歳まで。
通常は学校内にあることが多く、放課後教室を離れ、異年齢が交わり、ゆるやかな流れに沿いながらも自分の時間を自由に過ごす場だ。

・身近な自然が仕事場
幾つかの実習を含むFolkhögskolanのコースを終え、働く場所を探していた時、なんとその実習先だったFritidshem:余暇活動の場から、一人辞める人が出たからと仕事のお誘い。

集合住宅1回をぶち抜いた屋内施設

このFritidshem :余暇活動の場は、野外生活推進協会傘下でStrövarlyanという言いにくい名前で、外で遊ぶのを基本として、自分の時間を過ごすのが特色。
集合住宅の1階をぶち抜く形での屋内施設は、3つの学校の中心にあるように存在し、私が働いた当時は2つの学校から20~24人の子供達が集まって来ていた。

ここは、外で自由に遊べる力を持つ人間になってほしいという、野外生活推進協会に加わっている保護者たちが、野外生活推進協会傘下として団体を作り、コミューンから下りてくる児童一人当たりの保育用経費で保護者たちが運営をしていた。

子供達の園での日常を実質動かすのは、Fritidsledare:余暇活動指導員の資格を持つ園長、Fritidsledareほやほやの私と、資格を持たないがアイススケート・スキーバキバキの男性という陣容。
私に仕事の声がかかったのは、めずらしく子供たちに移民が一人もいない余暇活動の場だったので、少しは違う文化の背景を持つ人間と接する機会も作り出したからだそう。

そんなザ・スウェーデンで野外活動大好きといった雰囲気で育つ、小さな暴れん坊代将軍みたいな子どもたちにもまれて、最初の方は影ならず泣きそうになったことも多々🤣
でも、ここでの経験で、子どもたちの好きな事・遊び・食べ物・過ごし方…を知り、スウェーデン語を鍛えられ、野外活動大好き家族たちのライフスタイルに接することができた。
それと、毎日あちこちの森の中で子どもたちと格闘(遊ぶ)する中で、自然との付き合い方を子どもたちからたくさん教わった。
子供達が私の自然の中での遊び方の先生かも知れない。

・日常のルーティン
どんな遊びの種や私が持っている技を提供できるのだろうという意気込みは、あまり必要がないこともすぐに気づく、仕事場だった。

ストックホルムの自然との付き合い方の師匠ともいうべき園長は、自分の時間を過ごす場として家庭的なムードを作り出すのが第1、子供たちの指導者側の大人も自分の時間を大事にするのが第2、そして子どもたちの遊ぶ心をサポートするのが第3という、軽い指針みたいなものを先ず提示してくれた。
そして私の司った役割は、子供たちの食料・備品・教材などの準備・購入・管理だったので、毎日が事より物の算段で頭の中が一杯になった感じ。

入口の荷物置き場

子供たちが学校から離れてから保護者が迎えに来るまでの責任を持たなければならない。先ず、二つの学校が微妙に終了時間が異なるのを利用して子どもたちを迎えに行き、基地となるべく屋内施設に子どもたちが集まったら、学校の荷物を置き、先ずは軽食。
これが一日の出発なので、毎日何をどこで食べるのかは最重要事項かもしれず、大いに頭を悩まし続けなるべく手作りのものを提供できるよう頑張った。
家庭的な雰囲気づくりの一つとして、子供たちの誕生日には、その子の好きなケーキを提供するという習慣があって、失敗しながらもいろいろなお菓子作りをして、いろいろなものがそれなりに作れるようになったのはおまけとして大収穫かもしれない。

手作りのお菓子

おやつは外で食べることも多かったが、それからは毎日場所を変えて、外で遊び、保護者の迎えが始まりだす3時半から4時(季節によって異なる)頃を目安に屋内施設に戻ってくるのが繰り返される。
メインともいうべき遊びに特別なイベントがある以外は、出来そうなことを想像して備品を持っていくけれど、たいがいは子どもたちがそれぞれに自然の中に自分の居場所を見つけ、好きなことをしていく。
自然の変化・行事といったテーマ性に関係した”やること”があっても、遊びの中心は子供たちで、やる・やらない・違うことをやる…といった事を決めるのは子供たち。
それぞれのニーズの違いを埋め、ある程度まとめていき、必要なものなどをサポートして、楽しさを引き出すのが大人の役目だというのが、日常のルーティンの中でわかってきた。

そういった日常の中で、自分の時間をどう使うのか、何に関心があるのか・好きなのか、何がやりたいのかを少しずつ育てていく。

・危機回避
そして、楽しさばかりでなく、小さな小競り合い、喧嘩、小さな擦り傷…は日常茶飯事だった。
野外が遊び場なので自分の場所を見つけやすく、屋内だけよりも小競り合いは少ないのだけれど、どこかでモヤモヤを抱えたりしていると、喧嘩が勃発する。

働いている間、子供たちほとんどの泣き顔を見た気がする。
自由に遊びの建前だけれど、それぞれのやりたいがぶつかり合うので、仲裁をする場面が頻繁にあった。
ほとんどの場合は、その日の内にそれぞれが納得して握手をしておしまいにするが、時には保護者を含む当事者と職員が集まって話し合いをするということも経験した。

自分たちの楽しさを追求するだけなら簡単なのだけれど、みんなの中でみんなが楽しいと感じていくには、我慢、忍耐、譲り合い、協力…いろいろな要素が必要というのを、日常の中で少しずつ身に付けていく。
正に、人とぶつかって、どう対応していくかを身に付け、次のステップに進んでいくことを学んでいた。

遊び場が自然の中だからといって、ケガとすぐ結びつくというわけではない。
むしろ、子供たちは触ってはいけない草花、食べてはいけない実・キノコ、てべもいい草・実・キノコ、行っていいところ、危ないところ…私より知っていた。
そして、道具の使い方、危険だからやっていけないこと…等の注意は神経をすり減らすほどに繰り返した。

それでも、けっこう怪我、それも骨折や縫うほどの傷が起きる。
恐らく、思いっきり体を動かしたり、ナイフ・工具を使って物を作ったりしたからだろう。
すぐ保護者へケガの連絡を入れると、保護者が飛んできて、当該の救急へ駆け込む。
保護者は注意を十分にされた上であそびの日常が運営されているのを知っていて、「怪我をして初めてその原因のことを考えて、怪我をしないように振舞えるようになる」と言うことが多く、怪我のことで苦情が入ったことはなかった。

毎日子供たちと自然の中で格闘して、身近な自然の中での遊ぶ経験をさせてもらったこの余暇活動の場は、呆気なく終焉を迎えてしまう。
借りていた屋内の場を数個の住宅に改修して売り出される事になってしまい、代替の場をうまく設置することができずに、解散してしまったのだ。
丁度、余暇活動の場が学校に吸収されて行く時期と重なっていたこともあって、涙を呑んでの決断は時代の流れだったのかもしれない。

ここでの宝物のような時間はとてもここに書ききれないので、お時間がある方はその頃に忘備録的に書き留めたブログをご笑覧🙇‍♀️

*先ずは一つの視点を徒然なるままにつづってみたが、次にもう一つの視点の展開に触れてみたい。


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