『尖った部分』を生かした学級経営
『群れ』と『チーム』
ゴリラ研究の第一人者、京都大学の山極教授によるとチームを形成するのは人間だけだという。他の動物は『食』と『性』を共有するためであり、何らかの目的をもち協力し合っているわけではなく、一緒にいるのは環境に適応するよう行動してきた結果だという。
学校現場では、新しくクラス替えをすると、『チーム』というより『群れ』の要素が強い。それぞれのベクトルはそれぞれの方向を向いている。しかし、時間が経つにつれ、『群れ』は、何らかの目標を共有し『チーム』となっていく。所属感(帰属意識)・規範意識が高まり、さらによりよいチームを形成していく。
そしてチームは得意不得意を補い合って存在するものだ。できない部分を指摘するのは、教員経験がない人(口悪く言えば素人)でも簡単にできることである。もちろん苦手は少ない方がいいし、何でもやれることに越したことはない。しかし、『成長』と聞くと、苦手の克服や矯正などを思い浮かべがちであるが、あくまでもそれは成長の一要素に過ぎない。また世の中には我々が考える「教科」よりも、もっと多くの分野があり、今の評価枠組みだけでは評価軸の数が少なすぎる。
教師はそもそも学校に適応できた〈いい子〉が多い
多くの教師は、学校生活や受験勉強、採用試験など、満遍なく、卒なくこなす力がある分、『尖っている』子どもたちへの理解や扱い方に難しさを感じることが多い。おそらくそのような人がイメージする『チーム』は、恐らく落ち着いており、穏やかで、ハキハキしていて、思いやりがあり、言うことを聞く素直な子どもたちの集団である。したがって、『尖った』子どもは、その集団の秩序を乱す存在であり、矯正すべき対象となる。
データが示す日本の現状
日本の国際競争力が現在、圧倒的に世界標準と比べて劣っている現実は認知されて久しい。平成元年、世界時価総額ランキング(世界中の全ての会社で最も稼いでいるランキング)において、TOP50社中、なんと日本企業が32社ランクインしており、TOP5を日本企業が独占していた。しかし、平成最後の年のランキングでは、TOP5どころか、TOP50社にランクインしているのはたった1社(トヨタ自動車)である。加えて、世界価値観調査の結果では、日本が『冒険し、リスクを冒すこと、刺激のある生活』の項目と『新しいアイディアを考えつき、創造的であること、自分のやり方で行うこと』の項目において際立って低い。自己評価が厳しいという解釈もできるが、現在の日本の状況と関連して解釈した方が妥当だろう。なぜ、そのような企業(人材)が日本から出てこないのかを、(複合的な理由であろうが)教育に原因を求めてもあながち間違ってはいないかもしれない。
尖った部分をどう生かす?
現在、子どもたちがもって生まれた個性や『尖った部分』は、下手をすると学校によって、一部の教員によっては平らに均されてしまう。集団に適応するように、空気を乱すような『挑戦』はできず、その意欲は削がれ、決まったものとは違うことをするような『創造性』は発揮する機会が奪われる。高度経済成長時はよかった。でも今は、時代が違う。
『尖った部分』や『わからなさ』、『できない部分』を他の子どもたちとどう補い合ってより良いクラスにしていくのかについては、普遍性のあるような指導方法や解決方法はない。「ない」というよりも、扱っているのが人間である以上、帰納法的に導き出された一見普遍性のありそうな方法論も、間違いなく状況(環境)に依存する。必要なのは、方法論ではなく、考え方である。結論めいたことは言えないが、その『考え方』を体系化することで、多くの先生方の助けになる環境づくりができるのではないかと思う。
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