生物進化のビッグヒストリー
今日は生物の進化の歴史と宇宙の歴史ってつながっているんだよーって話をしようと思う。
前回も書いたんだけど、そのときに書いた内容が時系列で起きたことを説明しただけでちょっと味気ないなって思ったんで別の視点で改めてなんか書けないかなと。
別の視点って言っても何から考え始めたらいいか難しいんだけど、生物の進化の歴史ってなんだろうってことから考えてみようと思う。
いやでも、生物の進化の歴史ってなんだろうな。
進化というと思い浮かぶのはダーウィンさん。
彼が初めて進化という概念を世に打ち出して、その後あらゆる生物は一番最初の生物の子孫であるという考えが生まれた。
神様が作ったとかで、突然ポンっと現れた生物はこの世界に1匹もいない。
どの時代も生物は途切れることなくバトンをつないでいて、その時代その時代を生きたあらゆる生物はどれも前の時代の生物の生き残りだ。
それが今、これだけのたくさんの種類がいるということは、生物が進化によって姿を変え、幾度となくその系譜を枝分かれさせてきたということを意味する。
最初の点から線が伸び、たどり着いた点で2手に分かれて、割れたその先でも幾度となく分岐する、そうすることで1つの点から無数の点へと進化した。
これを逆向きに眺めると、無数の点が1本の道へと合流する。
形で言うとトーナメント表みたいになる。
カラスやダチョウやペンギンの祖先をずーっと辿っていくとやがて1種類の鳥へと行き着き、さらに遡っていくと恐竜の枝と合流し、爬虫類の枝と合流し、哺乳類の枝と合流し、両生類、魚、昆虫、クラゲ、カイメン、そして菌、植物と、あらゆる生物がその生命の系譜へと合流していく。
ここまでに挙げたのはみんな染色体が核膜に包まれた真核生物だけど、そこからさらに時間を逆回ししていくと多細胞生物が生まれる前に分岐した古細菌や細菌が合流してくる。
さらに遡っていくと、生物が細胞膜にまだ包まれていない、生命なのかという判断すらつかない時代になる。
少しでも長く生き永らえて自分のコピーを残そうとRNAやDNAやタンパク質が生存競争を繰り広げている時代で、たぶんここらへんでウイルスも系譜へと合流してくる。
最初の生命は、自身が設計図であり、同時に合成に必要な酵素でもある特殊なRNAだったんじゃないかなんて言われる。
もはや系譜の担い手は生命の体をなしていない。
身体という乗り物もない、細胞膜すら取っ払った生身のRNAだ。
そして、さらに時間を遡る。
RNAやDNAやたんぱく質のひもがほどけてちぎれ、短い分子となっていく。
アミノ酸やヌクレオチドといった有機物となり、彼らは完全に生命ではなくなったが、それでもまぎれもなく僕らの祖先である。
それすらも、地球ができてすぐの頃にはまだ存在しなかった。
荒れ狂う嵐の中の雷や、海底の熱水噴出孔から吹き上げる熱と触媒作用を持つ金属や、降り注ぐ隕石によって、これらは初めて地球上に誕生した。
今や系譜は、泥のように濁った海や吹き荒れる嵐の中の単純な分子や原子にまで遡ったのである。
そしてついに、系譜は地球が生まれる前にまで遡る。
僕らを構成する原子のうち、軽いものは星の中の核融合で生まれた。
もっと重い原子は、星が死ぬときの大爆発 “スーパーノヴァ”によって生まれた。
ここまでくると、再びこの系譜に合流するものが現れてくる。
その辺の石ころや鉄や山や太陽ですらこの系譜の一員と言えるようになる。
この宇宙にあるあらゆる原子は、僕らと祖先を1つにする系譜の一員なのだ。
かつて、分類学の父と呼ばれるカール・フォン・リンネは、あらゆる動植物を見事に分類した。
彼には卓越した洞察力が備わっていたものの、種の起源が発行される100年以上前に作られたその体系には進化を知らないことに起因する数々の不備があった。
そして、ダーウィンによって進化の存在が明らかとなり、分類というものの意味合いが単に生物の特徴をふるいにかける作業から進化の系譜における様々な枝に名前をつけることへと変化した。
“分類”とは系譜の中で枝分かれしていったその枝に植物だとか鳥類だとかいったラベルを貼ることであり、“分類する”とは生物が枝分かれしていったその歴史をひも解くことだと明らかになった。
さて、リンネが作り上げた分類体系は動植物だけでなく、鉱物にまで及んだという。
リンネは進化を知らなかったけれど、進化を描くビッグヒストリーは宇宙の始まりまで時を遡って彼と同じように鉱物を、さらには星までを系譜に収めたのである。
以上、宇宙の歴史と生物の歴史をくっつけるという話でした。
P.S.
オシャレさを優先させるあまり厳密さとかいろいろ犠牲にしたものがある気がする。まあそんな日もあるでしょう。