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霧の朝

 霧の朝、野川信子の乗った飛行機は1時間遅れてバーゼルミュリューズ空港に着いた。成田からチューリッヒ経由でおよそ16時間、この空港は国境にあり、出口がフランスくちとスイスくちに別れている。そのフランス口に、婚約者である安井が迎えにきているはずだった。しかしその姿が見当たらない。途方に暮れていると金髪の女性が近づいてきて言った。
「マダム野川ですか」
だいぶフランス語訛りだがしっかりした日本語だった。
「ムッシュ安井は支社のベルフォーからの帰りが遅れていて代わりに来ました。通訳のマリーといいます。さぁこちらへ」
 マリーの運転するプジョーに乗って10分、車は安井の勤める会社の名前が大きく書かれた倉庫のような建物の前で止まった。
安井が走り出て「やあ遠くまでよく来たね」と笑顔を向けた。霧で高速道路が渋滞していたとのこと。
フランス人ならハグしてキス、の場面だが彼はどこにいても日本人だった。

 ひと月ぶりの安井は少し日焼けし、フランスに長期出張と決まったとき、二人で選んだチェックのジャケットのせいか、くつろいだ様子に見えた。
「迎えに行けなかった代わりに、今日は早引けするから、一緒にアパートに帰ろう」
安井は会社から車で15分ほどの場所にある、社宅として用意されたアパートに住んでいた。パステルカラーのブルーとレモン色に塗り分けられたアパートはお菓子の家のようで日本人との感覚の違いにまず驚いた。一階の部屋に入ると黒を基調とした家具、レースのカーテンがなかなかいいセンスだ。

 隣の寝室にはダブルベッドの上にシーツとタオルがきちんとたたまれていた。
「君が来るというんで洗濯したんだ。こっちはからりとしていてすぐ乾くから助かるよ」
そのシーツとタオルからはフランスの洗剤なのだろう、日本と違う香りがほのかに感じられた。

 そのとき、信子ははっと気づいた。その香りが通訳のマリーさんからも感じられたことを。
「あの、マリーさんもここに来るの?」
「マリーさん?来たことないよ、会社の付き合いだからね」
安井はさり気なく言った、が、そのさり気なさが気にかかった。
けれど香りが同じだけでは・・・考えすぎだ、信子は疑念を振り払った。

 その後帰国を待って、信子は安井と結婚した。安井がフランスの思い出として買ってきた、というデカンタでワインを飲むたび、あれはマリーさんとの思い出のデカンタではないか、と考えてしまう信子がいた。美しい薔薇の花が刻まれたガラスのデカンタ。
安井に聴いても自分で選んだと言うに決まっている。

あの霧の朝のように、真相は霞んだまま・・・

         おわり

小牧さんの企画に参加させてください。
小牧さんお世話をおかけしますがよろしくお願いします。


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チズ
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