戸崎了の講演#シロクマ文芸部
書く時間は心を澄ませる時間です。
今日はそのことについてお話したいと思います。
皆さん、またお目にかかりましたね。
今にっこりされた方、前回も来て下さった方と思います。ありがとうございます。
さて、心の動きを言葉として表す、無意識に行っているこの作業は、複雑で実に高度なものです。
幼い子供は感情をストレートに表します。「ジュースが欲しいよ~」と、泣き叫ぶさまを見て、たかがジュースのためにここまで切なく泣けるのか、と感動したことさえあります。
成長するにつれて、私たちの感情は複雑化し、語彙も増え、その表し方もいくつかの過程を経るようになります。足を踏んだ相手が友人なら「あ、ごめん」他人なら「すみません」上司なら「申し訳ありません」というように、表現の使い分けも求められます。上司に「あ、ごめん」といったら、たいへんなことになりますね。
(聴衆の笑い)
あるテレビドラマで「悪いと分かっていても謝らないのが子供で、悪くないとわかっていても謝るのが大人だ」というセリフがありましたが、確かに大人になると、自分の思いをコントロールしなければならない場面も増える。そしてこれが、ストレスにつながる。
上司が「カラスは白い」と言ったら「はい、そうですね」というイエスマンが出世する、なんてことを言う人さえいます。
(聴衆の小さい笑い)
文を書く場合はどうでしょう。相手が紙であるから、いや、キイボードの方も多いでしょうが、僕はいまだに、紙に万年筆です。ペリカンというちょっといいやつですが、おふくろは、ペンギンと思っていて、どうしても覚えてくれません。あ、いや、脱線しました。
(聴衆の笑い)
文を書く場合はですね、相手が人ではありませんから、相手に合わせる気づかいや、自己制御は必要ありません。幼子のように、自由に思いを表すことができます。まずは心を澄ませる。そして自分の中に起こった心の動きをキャッチし、見極め、適切な言葉を見つけ出せばいいわけです。
書く題材をえらぶという作業は文をつづるうえでとても大事なことです。身辺のあれこれを思い浮かべ、過去に感動したこと、今、一番興味をひかれていること、一番大事だと思っていることを探し出し、これだ!と決める。
前回、僕は文は上手、下手より、いい、わるいが重要だ、という話をしました。いいわるいは内容で決まります。上手で悪い文章は、蕎麦屋のいい加減な天ぷらみたいなもんです。えびは小さくてひからびていて、衣がきらびやかです。それならいいエビを買ってきて自宅で食べる方がいいではありませんか。いいエビかどうか、賞味する力こそが必要になりますが。
まずしい文を書きまくる作家より、コツコツ良い文をつづるアマが僕は好きです。だから、僕はみなさんが大好きです。
(聴衆の大拍手)
(戸崎 了、とは架空の人物で、これは、チズ、というずぶの素人の書いたものです。以前アップしたものを一部書き換えています。)
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