新宿トワイライトストーリー
午後5時半の靖国通りでは、夕方の混雑が始まりかけていた。片側3車線の道路に車がひしめき、点滅する赤いブレーキランプの明かりの列が、目を閉じてもまぶたの裏に、残像になるくらい鮮やかだ。
林香里は、4WDのトラックの助手席に座り、すっかりはずんだ気分になっている。周囲の乗用車の群れから一段高いこの席は、なかなか快適だが、注目を集めているようで、少々てれくさくもあった。運転しているのは、ビジネススクールで、席をならべて勉強しているクラスメートだ。姜佳明といってまだ、23歳、香里より7歳も若い。父親が韓国人、母親が日本人で、将来祖父母の住む韓国に渡り日本語教師になる、とはりきっている。短い髪に逞しい身体、Tシャツにストーンウオッシュのジーンズがよく似合う。
香里は、都心の証券会社にもう7年勤めていた。単調なオフィスワークに疲れを感じ始めたある日、日本語教師養成学校の宣伝を新聞でみつけた。週1回土曜日、半年通うと生徒が紹介され、すぐ仕事につける、というのも魅力だった。
学校は、新宿3丁目裏通りの雑居ビル2階にあった。エアコンからはきだされる黴くさい空気が、印刷物の匂いと混じりあい教室を満たしていた。生徒は、香里、姜君、中年の女性の3人だけ。姜君はシャイで落ち着いて見えたが、先生に褒められると、右手で小さくVサインを出し、香里に笑顔を向けた。
川崎から通ってきていて、授業が終わり香里が新宿駅に向かって歩き出すと、どこからともなく彼の車が現れた。香里は後ろから車の明かりに照らされ、自分の影が浮かびあがる瞬間が好きだった。
「駅まで送るよ!」
姜君との10分のドライブは香里のひそかな楽しみになった。
「あのさあ。」
「え?」
「こんど、逗子あたりまで行ってみない?俺がバイトしてたレストランあるし。なかなかいいとこだよ。」
「え?」
返事をする間もなく、車は新宿駅に着き、グーンと左にカーブすると、歩道のそばに勢いよく止まった。
「ありがとう!また来週ね!」
スカートのすそをひるがえして、アスファルトの道に飛び下りる時、香里の心もいっしょにはずんだ。
翌週、姜君は欠席だった。弟が交通事故で大怪我をした、と連絡があったきり学校に現れなくなった。香里も半年通い、名ばかりの講師になったものの、紹介されたのは韓国人生徒一人で時間をもてあました。
ある日、レッスンを終えて帰ろうとした時、すっとドアが開いた。
「やあ、久しぶり!」
姜君のはにかんだ笑顔が現れた。勉強を再開できるようになったと言う。
韓国に一緒に行こうなんて言われたらどうしよう、そんなことまで考えていた自分にあきれていたが、案外実現するかもしれない。韓国人の生徒のお陰で、少し言葉も分かるようになった。
香里の心にぽっと灯りがともった。
おわり
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