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故郷の山

 レースのカーテンをふくらませて風が入って来る。大事に育てている
カポックの薄い掌のような葉がふわり揺れる。今頃こんな風が、故郷にも
ふいていることだろう。

 実家の裏庭には、大人二人が抱きついても、指先が届かないほどの太い幹を持つけやきの大木があった。白っぽい幹にあるくぼんだ傷跡は、祖母の話だと戦争中に供出されるため刻まれた番号の痕とのことだった。見上げると枝は四方にすいと伸び、日を透かして見る葉は鮮やかな緑で美しかった。半分埋まった太い根が、大地をつかんで大木を支えていた。
 その横には太い孟宗竹が何本も支え合うように生えていて、春には筍が、押し上げてふくらんだ大地からつんと芽を出した。竹の塀の後ろは土手で、そこを上がると東海道線の線路だった。 

 兄がバッター、わたしがピッチャーで野球をすると、兄の打ったボールが土手まで飛び、いつも二人で探しに行った。ススキやクズの絡み合った土手は、ムッとするほどの草いきれで手足が痒くなったが、かまってはいられなかった。ボールは一つしかなかったから。草がわずかに揺れると、それは蛇のいる合図で、なんども震えあがった。兄は素早く蛇の尻尾をつかみ頭を土に打ち付け、ぐったりした蛇を振り回しながら「蛇だぞ~」とわたしをからかった。怖かったけれど、楽しそうな兄を見るのは嬉しかった。

 10歳年上の姉は、夏休みが終わるころ、東京の女子大の寮に帰って行った。わたしは裏庭に立ち、姉の乗った列車に大きく手を振った。姉も窓から手を振ってこたえる、というのが我が家の行事だった。列車が見えなくなると、淋しさでいっぱいになり、土手を上がって線路まで行ったこともある。
車輪で磨かれたレールは銀色に光り、触ると体温があるかのように温かかった。

 姉がいなくなると故郷に秋が来た。欅の根っこに腰かけて、小学生用の雑誌を読んだ。根っこは固く、不安定ですぐお尻が痛くなったが、「木の下で
本を読む」ことにわたしは憧れていたのだ。すぐ疲れ、線路を通り過ぎる列車を見上げた。屋根のない長い貨物列車が、ゴトンゴトンと重い音を立てて通ると、あの柱につかまって風に吹かれながら旅をしたら楽しいだろうな、と想像したものだった。

 家の前は一面の田んぼで、その後ろには数軒の民家があり、さらにその後ろは山だった。うねうねとした山道を、姉、兄と登り、山の向こうの植木屋で花の苗を買ったこともあった。

 
 5年ほど前、実家の近くに住む姪が「新しい道が出来たから、案内するよ」と言うので車で連れて行ってもらった。見慣れた茶畑を抜けると
びっくりするほど広い道路が現れた。通る車もまばら、飛行場に通じているそうで、いきなり別世界に来たようだった。随分山を削ったらしい。
「広いね・・・」
言葉少なにあたりを見廻した。

山を削ってできたバイパス
車で走りながら
広さにとまどう
故郷の山は
走るより 眺めていたい


           おわり






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