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ヘルパー日記3


 Mさんは、85歳、白髪で痩せ型の気品あるおばあ様だった。伊達政宗の遠縁にあたる、ということで、その祖先が書いた文書が小さな床の間にうやうやしく飾られていた。浴衣姿でベッドに横たわり、トイレは這って行かれた。首を左右にふりながら、右手、左手と交互に前に出し、身体をねじりながら進む姿に最初はびっくりした。けれど、どんな姿をさらしても、自分で行こう、というMさんの態度は立派だと少し尊敬の念も感じた。

 掃除、洗濯、夕ご飯の支度が、ヘルパーの仕事だったが、夕ご飯のおかずは、ほとんどの場合同居している息子さんが用意してくれていたので、それを盛り付けて出すだけでよかった。しかし、冷蔵庫に見たこともないような高級な牛肉があり、「ミディアムレアでお願いします」とメモがあったときは、「どうしよう!」と泣きそうになった。なんとか焼いたが、ミディアムくらいになってしまったと思う。生でお腹を壊したらたいへん、と、しっかり目に焼いてしまったので。Mさんの前に訪問するNさんの奥様が、毎回庭のハランの葉を下さったので、それを色々な形に切って、料理に添えて出すと、「まあまあ、ステキねえ」といつも喜んで下さった。クリスマスのときは、途中の垣根に絡んでいた蔦の赤い実をツリー型に切ったハランに添えて出したら、「息子に見せたいから取っておいてね」と嬉しそうだった。

 月、水、金は、私、火、木は同じ事業所のKさんが訪問していた。Kさんは、陽気で気さくで感じのいい人だったが、ある日突然外されて驚いた。次の訪問の時、Mさんが待ってましたとばかり私に、「ねえ、もう一人のヘルパーさん、夜は飲み屋で働いてるんだって。いやぁねえ、酔っ払いの相手なんて。お酒臭いと思った」と顔をしかめて言った。Kさんが帰りに「今から飲み屋行くから。夜は飲み屋で働いてるんで」と言ってしまったらしかった。その週はすぐ代わりが見つからず、毎日私が訪問することになってしまった。実際はお酒の匂いなんてしなかったのに、思い込みは怖い、気を付けなければ・・・とMさんの話し相手になるときは、ちょっと疲れてしまった。

 訪問看護のサービスも受けていて、わたしが訪問すると若くて元気な看護師さんと会うことがあった。あるとき、看護師さんが点滴をしたまま帰ってしまい、点滴が終わりそうになっても何の連絡も来なかった。ヘルパーは医療行為をしてはいけないので、針を抜くことはできない。家族ならOKなのだが、息子さんは仕事で帰りが遅いし、Mさんは、「あら、終わりねえ、針抜いてちょうだい。大丈夫、黙ってれば、誰が抜いたかわかりゃしないんだから」と気楽に言うし、困り果てていると、やっと看護師さんから「これから行く」と連絡が入り、事なきを得た。

 少しずつ、認知症が進み、ベッドの奥にあった大きなゴムの木に挨拶したり、誰もいないのに子供が来ているわねぇなどと言い、驚かされた。トイレも行けなくなり、おむつになったが、交換のとき、いつも辛そうに目を閉じているのがせつなかった。手早くやろう、と思うほどもたもたしてしまう自分にも腹が立った。

 Mさんのお宅はマンションの5階で、帰ろうと玄関を出ると、沈んでいく真っ赤な夕日が見えた。なんだか生きる哀しみが詰まっているように見えたものだった。
          生きる哀しみを
          吸い込んだような
          こっくりと紅い夕陽
          落ちてゆく

              ヘルパー日記3おわり


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