反抗 #嫌いな人から学んだこと
遠い春の日、私は静岡の片田舎の中学二年生になった。クラス担任は新任のNと言う男性の先生だった。三十歳くらいで、背はあまり高くなく、がっちりした身体、浅黒い顔に少し縮れた髪で目がくるんと丸かった。
先生は私の得意教科、英語の担当で、難しい箇所になると私を指名し、私の答えに満足げにうなずいた。日本語っぽい先生の発音に少し優越感を持ったりした。
毎年五月に記録会と言う名前の運動会が開かれ、すべての生徒は50メートル走に出場し、その記録を正確に測られた。それが私にとって最高の悩みだった。走るのが遅かったからだ。勉強ならば、一部の優秀者の名前が廊下に張り出されるものの、それ以下の人はテスト順位がわからない。けれど、記録会では運動能力の差が一目瞭然になる。なんて残酷なんだ、と苦しんだ。
しかし、その年、神が私に味方してくれたように太ももに大きな腫れものができた。固い芯のまわりが赤く腫れあがり、熱をもってズキズキ痛んだ。これではとても走れない。見学の許可をもらおう、私は授業を終えて廊下に出ていく先生の後を追った。
「先生!足におできが出来て、走れません、記録会は見学でいいでしょうか?」
「どこにできたの?」
「ほら、ここです」
なんのためらいもなく、私は紺のひだスカートを太ももまでめくり上げた。それを見て、先生はニヤリと笑って言った。
「ほう、これはひどいね」
私ははっと身を固くした。先生は先生じゃない、ただの「男」なんだ。
それがどうしても許せなかった。
その気持ちを先生に徹底的に反抗することで表すことにした。家では今まで以上に夢中で英語を勉強し、授業時間は教科書の前に文庫本を立てかけて読んだ。しかしそれはポーズで、先生の話も注意深く聞いていた。いつ、どんな質問にも完璧に答えるために。答えられなかったら自分の負けだと思ったからだ。
ある日先生は私を廊下に呼んで言った。
「授業中に余分なものを出すんじゃないぞ」
私は先生の目をしっかり見て、ぴしゃりと言った。
「先生の授業聞かなくても、英語できますから」
先生は「いいですか」という時、口を「か」を発音した形のまま開けている癖があった。そんな時、私は間髪を入れず言った。
「先生、口を閉じて下さい!」
クラスの仲間はどっと沸き、先生は照れ臭そうに口を閉じた。「口開けたままなんて、バッカみたい」私はクラスメイト達と笑いあった。
大学を卒業して十年たったころ、私は中学の英語講師になった。他に就職先が見つからず、教育委員会に行くとたまたま採用になった、といういい加減な理由からだった。赴任先の中学では二年生の英語を担当することになった。生徒たちは思ったより素朴でほっとしたが、その中の一人、Yは私の欠点を鋭くつき、反抗し続けた。他の生徒たちは彼の小気味いい毒舌と、それに負けまいと必死の新任教師のやり取りをただ笑って楽しんでいて、誰も味方をしてくれなかった。
Yの言葉に傷ついて眠れない夜、私はN先生のことを思いだした。先生もあのころ、こんな夜を経験していたのだろうか。あの生意気だった女子生徒が、自分と同じ思いを味わっている。そんなことを知ったら、あの時のように「ニヤリ」と笑うのだろうかと。
N先生は嫌いのままだった。でも、もしかして私も生徒Yの心を知らぬ間に傷つけていたのかもしれない。ほんのちょっとしたことで人は傷つき、心が離れてしまう。そんな危うさをしみじみ思い知らされた。
おわり
山根あきらさんの企画に参加させていただきます。
山根あきらさんお世話をおかけしますがよろしくお願いいたします。