粉雪 #秋ピリカグランプリ参加作品
俳優になると決めたのは小学6年生のころだった。学校に劇団が来て劇を見たのだがそのなかで山羊が手紙を食べるというシーンがあった。山羊役の青年が手紙を丸めて口に入れると照明がパッと赤に変わり、彼はその紙を飲み込んだのだ。いや正確にはわからなかったが、食べたとしか思えない演技に子供たちは騒然となった。
「あの丸めた紙食べちゃった!」
いつもの講堂の舞台が、照明に照らされて別世界に変わってしまったことにも心が震えた。
私は両親と3人暮らしだったが、塗装工だった父は肺を患い私が高校生になったころ他界した。母は印刷工場から原稿をもらいガリ版きりをしていたが、いい出店が見つかり思い切って居酒屋を開いた。料理上手でもあった母の力で店は繁盛し、寝る間もないほど仕事に追われることになった。
高校を卒業すると同時に念願の劇団員になることができ、私は母の店を手伝いながら研究生として端役を演じ続けた。しかし、少しでもいい役をとろうとする壮絶な争いを知り、ここは居場所ではないのではと悩み始めていた。
そんなある日下北沢の地下の劇場を覗き驚いた。客席続きといってもいい低く狭い舞台で、団員たちは生き生きと演技をしている。芝居がはねると20人ほどの劇団員たちが出口に並んで観客を送ってくれた。主役を演じた広尾という青年に自分も劇団員だと告げると、彼はその魅惑的な瞳を輝かせた。
「僕たちと一緒にやりませんか。あなたなら主役級の役すぐお願いできそうだ」
その言葉にすっかり魅せられてしまった私は、その小さな劇団「粉雪」に入ることを決めた。入団して驚いたのは団員たちがすべてをこなすことだ。照明や効果音、舞台装置までも。器用だった母は衣装の一部を手作りし、皆から「お母さん」と慕われるようになった。
広尾はその誘うような視線や甘い声で、女性ファンも多く危険な香りがしたが、夢中になった私はついに結婚にまでこぎつけた。母も美青年の息子が出来たことを喜んだ。が、悪い予想は的中し彼は年上の女優と暮らし始め帰らなくなった。その女優が病に倒れ亡くなった数年後、今度は母が子宮癌で入院した。
北海道育ちの母はベッドの上で「北海道の家に帰りたい」と訴えたが、誰の目にもそれは叶わぬ願いと分かった。ここ数日が山と宣告された日、広尾が突然病室を訪れた。「粉雪」の公演ポスターを持って。「また見に来て下さい」の言葉に母は嬉しそうに頷いた。
その時ある考えが閃いた。私は持っていたメモ用紙を細く切り、斜め斜めに切って沢山の小さな白い三角形を作った。それを上の階の窓から撒いてくれるよう広尾に頼んだ。
12月のどんよりと曇り底冷えのする日だった。私は母に
「北海道に帰って来たよ、ほら雪が」
というとカーテンを開け窓の隙間から手で合図をした。
窓の外を紙の雪がチラチラと舞い始めた。
母は嬉しそうに言った。
「あ、雪」
その夜昏睡状態に陥り母は息を引き取った。(1200文字)
了
秋ピリカグランプリ2024に参加させてください。
ピリカさん委員のみなさんお世話をおかけしますがよろしくお願いいたします。