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ヘルパー日記

最初にヘルパーの仕事を紹介します。

【家事援助】
掃除 (本人が使う場所のみ、家族と共用の場所=玄関、廊下、風呂場、
   普段使っていない部屋は含まない。大掃除に含まれるもの、換気扇掃除や庭の草取りは
   日常生活に不可欠ではないから含まない)

洗濯 (本人の衣類のみ・介護保険開始初期のころは比較的区分がゆるく家族の分も洗っていた)

食事の準備 (本人の食べるもののみ・これも初期のころは多めに準備できたので、家族の分も
      含まれていた)
買い物 (本人の食べるもの・着るもの・飲む薬のみ・銀行や郵便局で引き落としなど
                              金銭を扱う援助はできない。)
【身体介護】
身体にさわる介護(食事介助・歩行介助・外出介助・入浴介助・排泄介助・着脱介助など)

5年半訪問介護ヘルパーを経験しました。それまでの職業と全く違ったので周りはびっくり。でも、一度経験し、資格をとっておけば長く働ける、と
飛び込みました。既定の講習を受け、実習も無事すんでさあ始まりです!
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 Yさんは、初めて担当した方だ。穏やかで、家族もおおらか、大変な身体介護もない、という方が最初の担当に選ばれるのだが、まさにその通りだった。85歳、背が高く痩せていて、「寅さん」に登場する「御前さま」に似ていた。初めてお会いしたころは、窓際の狭いベッドに横たわっていたが、トイレまではなんとか歩け、話しかければ「うん」と返事をして下さった。一回りも若いふくよかで元気な奥様と独身の30代の息子さん娘さんの4人家族だった。急な坂を降りたところの二階家に住み、一階はお風呂場と息子さんの部屋、狭い急な階段を上がったところがダイニングキッチン、その奥にYさん、奥様、娘さんの部屋とトイレ、ベランダがあった。

 ヘルパーの仕事は、Yさんの排泄介助、掃除、洗濯、食事介助だった。排泄介助は体をささえてトイレまで行くのだが、一人のときは不安定ながらなんとか歩いて行ってしまうらしく、マットは最初から清潔とは言えず、まわりの拭き掃除も必須だった。お風呂場で、ゴム手袋をはめてトイレマットをゴシゴシ洗いしながら、「これがヘルパーだ、くじけるな」と自分に言いきかせた。掃除範囲はYさんの使っている部屋だけなのだが、部屋があまりに狭いのと、当時は介護保険の制限が比較的甘かったせいもあり、奥様の部屋とダイニングキッチン、階段も加わった。

 奥様と娘さんの部屋は洋服や、大小様々な箱が山積みされていて、通り抜けるのがやっとで、崩れ落ちてくるものを支えながら掃除機をかけた。積み上げてある箱や物の順番を必死で覚えておき、崩れてしまったら元通りに直すというのは、ちょっとしたジグソーパズルのようだった。
洗濯ものはびっくりするほど沢山あり、狭いベランダの洗濯機を2回まわす必要があった。干場も狭いため鉢植えの蔦の間を体を斜めにして立ち、長方形の洗濯もの干し3つに干した。気を付けていたのにタオルを落としてしまい、息子さんのゴルフクラブをこっそり借りて一階のお風呂場の窓から、からめとった、こともあった。

 食事介助は、お料理は奥様が用意したものが、冷蔵庫に入っていたため、温めてスプーンでそっと口もとまでさしだすと、モグモグと食べて下さった。しかし、肉じゃがは曲者で、じゃがいもがのどに詰まりそうになり、大慌てしたあとは、小さく切って潰してという作業が加わった。奥様は、ヘルパーが来ると「じゃあ、お願いね、冷蔵庫にジュース入ってるから飲んでね」と明るく言ってでかけてしまった。サービス時間が終わっても帰って来ないこともあり、いつも夕方になると今日は時間通り終われるかなぁ・・・と憂鬱になった。Yさんは少しは歩けるため、一人にしてはおけない。家族が目を離した隙に、転んで鼻の頭を擦りむいたこともあったから。

 奥様はたまに家にいるときは、洋服の中から、いくつか引っ張り出し、「これもう着ないから、着て下さる?結構高かったのよ」などと全く趣味に合わない洋服を下さろうとするので、断るのがたいへんだった。

 体格のいい息子さんは、絵に描いたような孝行息子で、休みの日は、Yさんに覆いかぶさるように顔を近づけて、話しかけ、トイレ介助をしたり、着替えを手伝ったりした。通院の際はYさんをおぶって階段を下り、車に乗せて連れていく。ただ、病院に入った後は、ヘルパーに任せてしまい、診察が始まる頃を見計らって再登場する。その間、私は待合室でじっと座って待っていられないYさんのズボンの後ろのゴムを掴み、「もうちょっと座って待っていましょうね」と言い続けた。

 娘さんは仕事でいつも留守だったが、一度だけ会う機会があった。ショートカットで活動的な印象だった。奥様によると、「いいお話がいっぱいあったのに、全部断っちゃって、お兄ちゃんにも縁談があるたび反対し続けているのよ」とのこと。

 Yさんは、私が担当した3年の間にだんだん歩けなくなり、トイレはおむつに、食事は流動食に変わった。人が判別できなくなっても、息子さんだけはわかり、息子さんの名前を交えて話しかけると、「あ、息子がいるのかな?」という目をした。
89歳で亡くなられたが、最後まで自宅で、家族と、特に息子さんと過ごせてきっと幸せだっただろう。
               汚れたトイレマットを洗う
               力を込めて
               ゴシゴシ
               戦うように洗う

               第1話おわり


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チズ
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