バカの壁
数年前読んで、興味深かった本「バカの壁」を読み返してみた。養老孟司さんの話を文章化したものだが、やはり難しい。
「バカの壁」とは、考えようとも、知ろうともせず、限られた知識と思い込みだけで自分の壁を作り、その内側だけを正しい世界だと信じていることを指す。人は自分の知りたくないことについては、自主的に情報を遮断してしまっていまわりに壁を作っているのだ。
個性と情報について著者はユニークと思える説を唱えている。
まず、個性について。二軍の選手がどんなに努力しても、イチローにはなれない。彼には努力以上に神から与えられた天分がある。私たちにはもともと与えられているものしかない。個性は体に宿っているもので、伸ばそう、としても無理である。
一方、情報とは永遠に残ってしまう言葉である。著者がインタビューを数回受けたとする。同じ質問であっても答える内容は微妙に変わる。しかし、それを録音したテープの内容は変わらない。それに対して個性は日々変化している。平家物語や徒然草の冒頭の文章のように。もしガンを宣告された余命わずかと知ってみる桜はいつもの桜と違う。それは自分が変わったからだ、人は変化していく、と。
個性は変化し、情報は変わらない、とは逆のようにも思えるが。
個性の宿る体の一部、脳についての記述も面白い。
脳は情報を出入力している。ハイハイしている赤ちゃんは机の脚にぶつかって痛い目に合う(情報の入力)と、それを知識として机の脚をさけるようになる(情報の出力)。動作を伴わず、脳の中でのみ、入出力を繰り返すものが、数学、哲学である、という説は、なるほどと合点がいく。
著者の趣味は昆虫の観察であり、昆虫のように人間を観察できる複眼を持っていると言う人もいるらしい。「バカの壁」とは、自分の周りに構築し、自分の限界を設定する比喩的な壁のことだ。脳科学、教育学、哲学、経済学、心理学など、「複眼」で問題を観察しており、こういう見方もあるのか、と驚いた。
「人生でぶつかる問題はそもそも正解なんてない。とりあえずの答えがあるだけ」というまえがきの文に、答えを必死で求めてしまう私は少し安堵した。この本もまだ、部分的にしか理解できていないがこのゴールデンウイークに新しい世界を旅したような気分になった。
おわり
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