この本が、よき隣人になれたなら。/『阪急電車』有川浩
なにかがパチリとかみあって、弟に本をおくることになった。
本当に、偶然だったと思う。
入社して1か月。
お給料で少し気が大きくなって、だれかになにかをおくりたい気持ちだった。
たまたま弟の誕生日がちかくて、勢いで「本でもあげようか」と言ったら案外のり気な反応がかえってきたのだ。
こちらから言いだして、やっぱりやめるわけにもいかない。
そんなこんなで、弟に本をおくることになった。
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ちょっと前の話。
弟の相談にのってやってと母から連絡がきた。
大学4年生。
就活や卒業研究も始まって、多分かなりたいへんな時期だろう。
もともと、弟はそんなに強いやつじゃないし、ストレスに弱いことを自分でよくわかっている。
それがいいとかわるいとかはおいといて、昔から自分のことをちゃんとわかっててすごいなと思う。
わたしはしょっちゅう自分のキャパを見誤って、体調不良になってたのに。
そんな、わたしとは違うタイプの弟の話を聞いてあげてと母からラインがきたものだから、2ヶ月ぶりに弟にラインを送った。
話を聞くなら電話、と思っていたらあっさり断られた。
でもぐいぐい攻めるといやがるのは目に見えているので、こちらもすっと引き下がる。
そもそも弟の相談なんて受けたことがないから予想どおりの結果ではあるんだけど。
そんなわけで、相談の電話は叶わなかったものの、家族でビデオ通話をする日があった。
弟も、わたしも親も妹も、住んでいる場所はばらばら。だからたまにこうして近況を報告しあう。
とはいえ、その場で就活の話がでることはなく、みんなおおむね元気、そんな感じだった。
そしてそう。あれやこれやと話してるうちに弟に本をおくることになったのだ。
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さて、本をおくるとなれば、読んだことがあるものから選びたい。
本を選ぶために読書の記録アプリを開いた。アプリを変えたせいで、2020年からの記録しか残っていない。
後悔はあまりしないタイプだけど、もっとちゃんと残しておけばとめずらしく悔やんだ。
多くはない選択肢の中に、おっ、と思う1冊。
「阪急電車」
図書館戦争で大好きになった有川浩さんの作品。
考えれば考えるほど、ぴったりな1冊だと思った。
この本はいろんな人が登場する。
短編連作、オムニバス形式と言うのか。大学生から、孫を連れたおばあちゃんまで、いろんな人が登場するし、それぞれに思いや悩みを抱えている。
誰かひとりくらい、弟と気のあう人がいるんじゃないか。
そんな期待もあって、この本を選んだ。
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本を選ぶとき、そしておくるとき。
心のすみでずっと、思っていたことがある。個人的な気持ちだけど、ちょっと聞いてほしい。
選ぶときもおくるときも、この本が、弟の「よき隣人」になりますようにと思っていた。
たとえば、困ったときにちょっと話を聞いてくれるような、そしてヒントをくれるような。
いつもそばにいるわけじゃないけど、会いにいったらむかえいれてくれるような。
そんな、「よき隣人」になりますようにと本を選んだ。
弟にとって、頼れる存在。
それはわたしじゃなくていい。
わたしじゃなくていいけど、誰かいてやってほしい。
よけいなお世話かもしれないけど、この本が「いい出会い」であってほしい。
そんな思いをそえながら、本を贈った。
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クーラー無しでは茹だってしまうような暑い盆、帰省したわたしたちは久しぶりに顔をあわせた。
ふたりで駅のホームに並びながら、弟に聞く。
「あの本、どうだった?」
「まだ途中だけど、よかった」
「いいね。誰が好き?」
「『討ち入りは成功したの?』のおばあちゃん」
その言葉に、わたしは思わず笑ってしまう。
弟がだれかひとりを選ぶとしたら、そのおばあちゃんだと思っていたから。
姉の勘もすてたもんじゃないなと思いつつ、前々から決めていたことを伝える。
「また、気がむいたら本でもおくるわ」
さりげなく、それでいて確かに。
そんな存在でありたいと、ひそかに思う夏の日だった。