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『ポケットモンスター ココ』はこどもと昔こどもだったおとなのための物語

※ネタバレを含みます


12/25公開、『劇場版ポケットモンスター ココ』を鑑賞してきました。大変素晴らしかった。大人も子供も一度は見るべき大変優しい物語でした。
きみも、劇場配布のとうちゃんザルードがボックスへと雑に突っ込まれたSwitchの画面に向かって「なんでこんなところにいるんだよとうちゃん!森でココを待ってるんじゃないのかよ!」と錯乱しよう。

あらすじ:
ポケモンマスターを目指して旅をしている少年・サトシはとある森の中でポケモン・ザルードに育てられた少年・ココと出会う。

・キーパーソンはポケモンに育てられた少年・ココ、そして人間を育てたポケモン・ザルード。ある日、ココはサトシと出会って自分がポケモンではなく人間であることを知ります。そして物語は動き出し…という話。
ディズニー・ターザンを彷彿とさせますが、運命的な愛に翻弄されるわけではなく、「じぶんってなに?」「おやこってなに?」と丁寧に向き合った映画でした。

・劇中挿入歌・テーマソングは全て岡崎体育がプロデュースしているとのこと。ヒネたりちょけたりしてた体育くんがあんなに優しい歌を、あんなに元気が出る歌を作るんだ… 

収録曲は全て名曲で、「2020年はポケモンに捧げた」と言った岡崎体育の本気が伝わってくる出来です。うちの一曲、「ふしぎなふしぎな生き物」がマイベストソングです。これは、とうちゃんザルードがココを拾ってお世話を始めるシーンに流される曲なんですが…

https://youtu.be/Ga2G1wyI-3o


こどものころからポケモンファンであるきみにはいちいち説明することではないかもしれないんだけど、この「ふしぎなふしぎな生き物」というのは、ポケットモンスターシリーズといういろいろな物語のスタートを飾る共通のナレーション、「ポケモン」という命のキャッチコピーなわけ。
そのフレーズを子育てビギナーのパパから赤ん坊への気持ちに重ねていく。なんて粋な演出であろうか。岡崎体育〜!しかもボーカルはトータス松本。岡崎体育ゥ!!やってくれたな岡崎体育、岡崎体育ゥ〜!!!!

これを書いている私は限界独身女性な訳なんですが、この歌を聴けば全部わかります。パパと遊びに行こう、って、ようやくランドセルを背負うか背負わないかって子どもをさ、映画館でポケモンでも観ようか、って、並んで座って、嬉しそうなこどもの瞳にスクリーンの光が反射して、ついついほほえみをこぼしたりして、そんなときににこの歌を流されたりなんてしたら、もうてんで駄目になっちゃうわけよ。お父さんなんで泣いてるの?いや、ちょっとね…。
知らんけど今子供連れてポケモン映画行くお父さんお母さん、ガッツだぜ!って生きてきて、バンザイ!君を好きでよかった!つって恋をしたに決まってるんだ。知らんけど。そんなおとうさんとおかあさんにこの曲を贈った岡崎体育はMVPということです。

・悪役のキャラクター造形も絶妙な塩梅で仕上げられており、唸り声を上げるしかできません。
作中の悪役であるゼッド博士は、ザルードたちの住処である「治癒の泉」を狙って、怪しい研究団体を引き連れてジャングルへやって来ました。森のポケモン達の抵抗にあい、「私は正しい!」と叫び散らし、鬼気迫る表情で森林を破壊してザルード達に迫ります。
彼のバックボーンが語られるのは、過去回想での二つの台詞のみ。「どうしてあと少しで治癒の泉が見つけられるのに、捜索計画を中止するんだ!」「泉さえ手に入れば助かるべき人たちを助けられるのに!」、それだけです。
しかし、二つの台詞から、彼にも立派な志や強い思いがあって計画に参加したのに…という「事情」が我々オタク、ないし大人達には察されます。
もちろん、物語に描かれている以外にも世界は広がっているのだから、我々が知り得ない所で、博士も大事な人を失ってるのかもしれないし、計画の資金を集めるのに辛酸を舐め続けてきたのかもしれない(研究組織のトップがちょっぴりほんわかしているし…)、同じ犠牲を払うなら自分が行った意義ある死の方がいいと考えたのかもしれない、そんなことを想像したっていい。けれども、そこは映画では描かれない。本編での博士は、その形相も相まって、暴走して森を破壊する「悪人」そのものです。
だから、おそらくこどもたちはそれを感じ取れないのではないかな、と想います。目の前の悪そうな顔をして森を破壊する姿が全て。悪は倒されて、ハッピーエンド。悪役の内心が察されて思わず目を逸らしてしまうのは大人だけ。
こうやって、「大人になって改めて観たら感想が全然変わった!」という物語が作られるんだなあ、と感じ入りました。

・そして、この物語では「奇跡」が起きる。
ご都合主義を嫌う私のようなオタクは、何かというと「世界の均衡が…」みたいな理屈をこねくり回して、なんのペナルティもない奇跡をこき下ろすものだけれど、「ココ」で起きた、なんの理屈も理由もない奇跡に関しては、「これでよかった!」と素直に思うことができました。
作り手側の「こども」と「昔こどもだったおとな」に楽しんでもらいたい気持ちが十分伝わっていたからだろうか。
そもそも、奇跡とはなんの理由もなく起きるものを言うのではなかったか。いつのまに私はただ純粋に奇跡を願う気持ち、欠けのない幸運を歓迎する気持ちを失ってしまったんだろう。
終わった直後、同行者とそのシーンの話になったとき、私は「子供向けだからこれでいいんだ!」と言いましたが、それは「こども向けだから多少ちゃちくてもいい」ということではなくて、「こどもが一番最初に触れる物語だから、奇跡を信じられる物語であっていい」という意味なのです。

・本編を通して子供も大人も両方楽しませて帰す、という製作陣の本気が伝わってくる内容でした。子供が一番最初に触れる物語として、まずは遣る瀬無い気持ちや、割り切れない気持ちを残さないようにしよう。その上で、大人の目から見てもキャラクターたちにはそれぞれの生い立ち、深みがあると思えるようにしよう。そういう試行錯誤を感じました。
ただの感動屋オタクの私は最初から最後まで泣き倒しです。マスクって便利だね。鼻水がずるずるでもわかんないからさ。

さあ、こどもも、昔こどもだったおとなも、おねーさんも。みんなココを見て、とうちゃんになって帰ってこようよ。


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