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イエス・キリストの前世と、聖書における転生について

クリスチャンの方からすると、かなり異端的なテーマですが、
私はとても興味深く、実に面白い話だと感じており、ずっと研究を続けてきたのがこの「イエス・キリストの転生」というテーマです。

先日、Youtube Liveでそのことについて話をしましたので、よろしければご覧ください。
https://www.youtube.com/live/m9rCckgzRuk


元はと言えばこのテーマは、「眠れる預言者」として有名なエドガー・ケイシーの「リーディング」に淵源を発しています。
エドガー・ケイシーのリーディングによると、イエス・キリストは30回目の転生であり、数々の生涯をこの地上で送ってきた、ということです。

本当でしょうか。

真偽については神のみぞ知る、というところかもしれませんが、ケイシー・リーディングで語られた数々のイエス様の転生についての情報は、大変面白いポイントがいくつもあります。

「Lives of the Master」という研究本が英語ですが出ています。
グレン・サンダルファーという方が著者で、とてもよくまとまっています。

残念ながら日本語版は出ていませんが、数年前にケイシー協会の光田先生にお目にかかった際にお尋ねすると、「訳し途中です」とおっしゃっていました。
(先生、お待ちしております😊 それから数年が経過致しましたが、先生も超ご多忙そうなので、私が訳したくなっているほどです😆)


さて、イエス・キリストの転生については、上記の本にも多数の具体例が記載されています。

  • アミリウス(アトランティスの指導者・霊体のみで肉体なし・両性具有)

  • アダム(アダムとイブのアダム!エデンの園の。驚きですね)

  • エノク(謎の人物。外典で「エノクの書」は神秘主義の世界では有名)

  • メルキゼデク(大祭司。アブラハムを祝福した)

  • ヨセフ(ヤコブの息子。エジプトのファラオに重用されるに至り、ユダヤ人がエジプトに居住する流れとなった)

  • ヨシュア(モーゼの副官。ケイシー・リーディングでは「モーゼの五書」を筆記したと言われている。数々の奇跡を起こした。「イエス」と同じ名前)

  • アサフ(ダビデの音楽隊の隊長)

  • イエシュア(バビロン捕囚後の祭祀。旧約聖書をかなり編纂した様子。やはりイエスと同じ名前。アラム語読み)

  • ゼンド(ゾロアスターの父。時代的にはもっと前だが、ユダヤ系ではない事例として最後に記載)

といったようなラインナップで伝えられています。


また、ギザのグレートピラミッドを、エドガー・ケイシーの前世の一体であったラー(ラー・タ)が建造したと言われており、その指導をしたのがヘルメスで、その人物もイエスの前世の一人、と目されていますが、ケイシー・リーディングではそれは明言されておらず、謎とされています。


先ほどの動画では、その辺りのことをいろいろ語っていますので、よろしければご覧ください。

このテーマは本当に興味が尽きません。


以下、聖書からいくつか引用します。パウロは興味深いことを書いています。ロマ書とコリント書から引用してみます。

しかし、アダムからモーセまでの間にも、アダムの違犯と同じような罪を犯さなかった人の上にさえ、死は支配しました。実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。

ローマ信徒への手紙 5章14節

「最初の人アダムは命のある生き物となった」と書いてありますが、最後のアダムは命を与える霊となったのです。

コリント信徒への手紙 Ⅰ  15章45節

一般的に教会は、このようなパウロの言説を、転生について言及しているとは捉えません。キリスト教会においては、輪廻転生は異端だからです。

しかし、歴史の中で、輪廻転生はずっと異端であったかというと、初期キリスト教ではそうでもなさそうです。さまざまな公会議で、段々に異端として退けられていったという歴史があります。

パウロは上記の二箇所でも、あたかもイエスの前世にアダムがあったことを知っていたかのようです。色々な解釈は可能ですが。


さて次は、イエス御自身の言動を追ってみましょう。

すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。 あなたがたが認めようとすれば分かることだが、実は、彼は現れるはずのエリヤである。 耳のある者は聞きなさい。

マタイによる福音書  11章13節-

ここでイエスが「聞く耳のある者は聞きなさい」とおっしゃっているのは、まさにイエスが秘匿的なこと、一般にはわかりにくいことに言及する際の常套句です。そして、「来るべきエリアである」ということを明言しています。これは一般のキリスト教的な解釈では、「エリアの精神を継ぐ者」ぐらいの解釈となるのでしょうか。
しかしこれはまさに、素直に普通にそのまま読めば「エリアの転生者」という形で読めます。

見よ、わたしは
大いなる恐るべき主の日が来る前に
預言者エリヤをあなたたちに遣わす。
彼は父の心を子に
子の心を父に向けさせる。
わたしが来て、破滅をもって
この地を撃つことがないように。

マラキ書 3章23節-

このマラキ書は、メシア到来の予言と、エリアの再来の預言で知られています。
そして、この「預言者エリアをあなたたちに遣わす」という預言は一般的に、洗礼者ヨハネの到来を予言したものとして、キリスト教では捉えられています。
ここも、素直に読めば、大預言者エリアの再来(転生)が起きる、と預言されていると読めるかと思います。(さまざまに解釈の違いはあれど、そのようにも読めることは否定しきれないと思います)


エドガー・ケイシーは、非常に敬虔なクリスチャンでした。
ですので、自分が催眠状態で語ったことが、時にキリスト教会に説いては異端的な内容を多数含んでいることにずいぶん悩んだということです。
しかし彼は生涯で旧約新約聖書を60回も通読したような人物であり、非常に聖書に通じていました。
そして、聖書の中で不思議な記述があちこちにあることを思い出していったとのことです。

彼が思い出した中で、最も印象的なヨハネによる福音書の一説の紹介を持って、この文章を終えたいと思います。

さて、イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。 弟子たちがイエスに尋ねた。「ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。」 イエスはお答えになった。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」

ヨハネによる福音書 9章1節-

この箇所は、とても有名です。クリスチャンはみんなよく知っている一節です。

イエスは「生まれつきの盲人」について、弟子から問いかけられました。
「この人が生まれつき目が見えないのは、誰が罪を犯したからですか?本人ですか?それとも両親ですか?」と。。

これは実に不思議な言動です。
「生まれつきの盲人」が、どのように罪を事前に犯すことができるのでしょう。
また両親の罪によるのか、ということも問いかけています。

これは、ちょっとテーマが近接領域に移りますが、聖書の中で、イエスの周りにいる人たちがカルマ論を普通に捉えていた、ということが見て取れる箇所といえます。(クリスチャンの方の反論はおありかもしれませんが、そのように読めるという可能性については否定しようがないかと思います)

また、「生まれつきの盲人」が罪を犯すとすれば、母親の胎内ででしょうか。もしくは生まれてくる前の天界においてでしょうか。どちらもなさそうです。
可能性があるとすれば「前世」です。

ここから、イエスとその弟子は、転生について普通に会話していた、ということが推測されます。
大変興味深いことですね!


さて、話が長くなりました。

イエスの転生についてのテーマと、聖書の中における転生についての話をさせていただきました。
いかがでしたでしょうか。

私は父方の家系が代々熱心なプロテスタント系のクリスチャンです。
ルーツを遡ると、クリスチャン大名の大友宗麟にまで行き着くとか(家系図にもそんなことが書いてありました。ほんまかいな)

私の両親も、ごく普通のクリスチャンなので、私のこのような異端的言説に、母は特に眉をいつもしかめています。
また、私の祖父母が通っていた教会の牧師先生からは「悪魔に取り憑かれている」という評価をいただいたこともありました😅

伝統的なクリスチャンの方々が、この記事をお読みになると、どのようなことを思われるかは、ある程度、予測は立ちます。

しかしあえて、書かせていただきました。

キリストの本来の教えに立ち返ると、聖書は違って見えてくる部分があります。
私たちが見ている聖書についての解釈は、歴史の中で、様々な教義によって視野が狭まっている部分があるのです。

かえって、イエス様の転生については、信徒でない方の方が興味を持たれ、素直に受け止めやすいかと思います。
「後の者が先となる」とイエス様がよくおっしゃっておられたことの通りかもしれません。

私たちは目を覚ましてまいりましょう。
聖書に書かれたことを、平らな目で見直してみましょう。

そこに、新しい光や、新たな希望が見出されることが、私は多くあると思っています。

全ては主の御心のままとなりますように。

イエス様は水の上を歩いたり、テレポートしたり、空を飛んだり、
いろいろとんでもないスーパーな方だったので、
転生について語っていても、いまさら驚きませんね

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