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脱サラ/起業/経営/14年間の舞台裏を全公開

割引あり

小さなビジネスを始めたことが、私の人生を変えてくれました。

  • 自分の人生に、一体どんな意味があるのか?

  • 自分に、一体何ができるのか?

そんなふうに悩んでいた私でも、14年経った今、自分なりの確信を持って、この人生を進めることができています。

すべては、考え方。
そして事業は、戦略次第です。

この記事では、私のここまでの人生と経営の舞台裏を綴ります。
もし、人生に悩んでいたりチャレンジに挫折しそうだったり、あるいは経営に行き詰まっている人にとって、何かのきっかけになれば幸いです。


よく考えれば実業家一族

親戚は商売人だらけ

当時は、全然意識していなかったことがあります。
そりゃそうだ。それが自分にとっては当たり前だったんだから。

何の話かっていうと、私の親戚はほとんどが経営者だということ。

同族経営をしているのではなく、それぞれが別の商売をやっています。

会社を経営している人。お店を経営している人。開発をしていた人。などなど。

当時はそれが当たり前だったから気づかなかったけど、人生を変えるきっかけって、そういう当たり前の中にあったりするんです。

チャンスはいつも、近くにある。
これを読んでいるあなたにも、まずはそれを信じてほしい。

裕福な「おぼっちゃん」

裕福な家庭に生まれて英才教育を受けた

1988年。横浜。
母は私を産んでくれました。

実は、私が生まれた頃の我が家は、まだまだ裕福ってわけじゃなかったけど、父はすでに教育関連の会社を起業していて、後になって調べると、軌道に乗り始めた頃だったようです。

父も母も、私をとても大切に育ててくれました。
36歳の今、私も一人の親として子供たちを育てていますが、実家のアルバムを見たりしていると、私もまた大切に育てられていたことがわかります。

それから数年の間に、父の事業は大きく成長したようです。

かなり良いマンションに引っ越しました。
今考えても、とても豪華な家でした。

私は、近所でもちょっと噂の、おぼっちゃんでした。

英才教育

0歳からレッスンを受けた

幼い頃の記憶でも、特に覚えているのが英才教育を受けたこと。

もちろん、英才教育って言っても色々と種類はありますが、私の場合はなんていうかな、いわゆる「お受験系の英才教育」って感じの種類かな?

父が教育関連の事業をしていたから、その教室に入れられていたんです。

その塾のパンフレットの表紙にも、子供の頃の私が載ったりしたから、まぁ、宣伝目的もあったのかな?笑

で、こんな書き方をすると、「酷い親だ」とか、そういう見方もあると思う。

まぁ、その考え方も一理あるのは十分に理解できるし、私は自分の子供を同じようにはしない。

ただ、結論から言うと、私はこの英才教育を受けたこと自体には感謝をしています。

もう、0歳の頃から教室で読み聞かせやら何やらがあって、3歳の頃には自分の考えを発表するって練習があったりもした。

あくまで記憶の範囲なので、当時の印象ってことにはなるけど、大切にされていたのは「自分で考えて、自分で動く素養」ってことだと思う。

実際、父や母は、普段の生活でもそれをよく教えてくれようとした印象があります。

1,000人の保護者の前で

林間学校の実行委員長を務めた

そういう英才教育の成果なのかな?
小学生の頃の私は、とにかく優等生でした。
自分で言うのも、変なんだけど・・・。

成績は常に優秀で、いわゆる学級委員長だとか実行委員長だとかを積極的に頑張っていました。

小学4年生とか5年生の時かな。
夏休みとかに泊まりで行く課外活動みたいなのがありますよね。
修学旅行みたいなやつ。

ある年、その実行委員長をしていたんです。
それで、ちょっと例年と違う趣向でその課外活動の企画を思い付いたんです。

そこで私は、小学校の体育館に保護者1,000名ほどを集めた説明会を開きました。私が10歳か11歳の頃。雨の日でした。よく覚えています。

マイクを使って30分ほど、大人たちの前でプレゼンテーションをして、その後は質問にも答えました。

小さい頃の英才教育が、割とこういう場面にも早くから活きていました。
そして、こうした経験もまた、現在の力へと繋がっています。

だから、私が思うのは、偶然ってのは人生では無いと思うんですよね。

もちろん、実際には「たまたま起こった事」の方が多いんだけど、「自分の人生」という視点で見たときには、結局そういう「たまたま起こった事との関わり方」で人生で決まっていくと思うんですよね。

その関わり方こそが、いわゆるチャンスというものだと思っているんです。

どんな親のもとに生まれたのかは偶然です。
私の親のように、0歳の頃から幼児教室に通わせるような教育方針に反対する人もいるでしょう。

でも、その偶然の親の方針に対して、私は私なりに、正面から向き合いました。
きっと拒否することもできたのですが、私なりに真剣に取り組みました。

成績優秀なクラス委員長を、ウザい目で見る人もいるでしょう。
よく分かりますし、実際にそういう陰口を言われたこともあります。

でも、私は私なりに、偶然の結果生まれた自分の状況や性格に対して、真剣に向き合いました。やりたいことをやる。得意なことをやる。それを笑う方がおかしいのだと。相手にしなければ良いだけだと。

だから、偶然周りで起こったようなことでも、それとどう関わるか、どう向き合うか、どれくらい真剣に考えるかで、人生のチャンスや可能性が変わると思うんですよね。

お受験

いわゆる中学受験を経験しました

小学生時代の後半は、本当に忙しかったです。
教育熱心な親の方針で、当然のように中学受験の準備に入りました。

ほとんど毎日のように塾に通い、家にいる時間もほとんど勉強をしていました。

実は今、私の子供たちがそういう時期なんですね。ちょうど。
だから、自分の経験を通して、大切だった習慣は取り入れ、「あれは嫌だった」と思う部分はサポートするようにしています。

自分自身の受験生活は、本当に大変でした。
本当に、文字通り毎日、勉強漬けでしたからね。

公園で普通に遊ぶ近所の子を横目に、塾に通う日々。

でもね、その時は大変だったけど・・・、私はさっき書いたような解釈をしているんです。

自分の人生に、偶然なんて無い。

現在の私は、23歳の頃からビジネスを立ち上げて14年目を迎えています。

たまに、居酒屋から酔っ払って出てくる同世代のサラリーマンの団体を見て、ちょっと羨ましくなることがあったりします。

経営者って、同僚がいないから。
23歳で起業した私には、その経験が無いからね。

あの頃、公園で遊ぶ同世代の子供を見て、「あっちの世界には何があるんだろう?」と思ったのと同じ感覚。

でもさ、自分の人生はここにしかない。
それはいつもそう。

隣の芝生は青いでしょう?

きっとみんな、同じですよ。

私が羨ましいと見ている世界の一人ひとりの方々も、きっとそれぞれの視点から「あっちの世界には何があるんだろう?」と思ったりしているはず。

でも、自分の人生はここにしかない。

だから、いつも私たちの前には分岐点がある。

  • 今、この道を進むのか。

  • 視界に入った、横道に逸れていくのか。

中学受験って、ご経験のある方はお分かりの通り、思ったよりもずっと大変な世界です。

嫌だと思ったことも、うんざりするほどありました。

それでも、決めた道を最後まで進んで良かった。

「やり通した」という経験は、現在の私の力になっています。

漢字ドリルから判明した一生の哲学

大切なことは、漢字ドリルから教わった

私は特別な経営の才能なんか持っていません。
14年も経営の世界で生き残れたことを「すごい」と言ってくれる専門家の知り合いがいたりしますが、私は何か特別な魔法が使えるわけではありません。

もし、何か理由があるとしたら、それはたったの一つだけ。

誰でもできることを、誰もやらないほどやる。

ただ、これだけです。

私にとって、自信を持って「人よりもできる」と言えるものはこれだけ。

そしてこの法則は、私が小学1年生の時に発見したものでした。

私のクラス、一年一組では、4月にこんな宿題を出されました。

『みなさん!
 ここに、漢字ドリルがあります。
 全部で30ページほどありますので、
 お家でやってみて、
 夏休み前までに全部終わらせましょう。』

今の学校で、こういう種類の宿題があるのかは分かりません。
とにかく、私にはありました。

私は「1日1ページだけ進めていけば、単純に1ヶ月、つまり5月の時点で終わる」と考えて、そのペースを守りました。

最初の方って、みんな気合が入っているからバーっと飛ばしていく人もいるんです。

だから、4月の中頃までは私が一番良いペースだったわけではありません。

でも、4月の後半ごろから、みんなの中で漢字ドリルの話題は消え、実際に進めている人も激減していきました。

その間にも私は1日1ページのペースを守り、夏休みに入る7月よりも2ヶ月も前の5月に漢字ドリルを制覇しました。

私的にはすごく驚いたことなのですが、提出したのは私が一番で、二番目に提出した人は私よりも1ヶ月以上も遅かったのです。

友達は私に『お前、頑張りすぎだよ』と言っていましたが、私は頑張っていません。

ただ毎日、たったの1ページだけ進めたのです。
1ページだけやることなど、誰にでもできることでしょう?
私はただ、そのペースを守っただけ。みんながやらなくなった後でも。

この経験を私は、すごい勝利の法則なんじゃないかと確信しました。

二学期に入って、同じ作戦を試しました。
2年生になっても、3年生になっても、同じ作戦を試しました。

結果、その作戦で失敗をしたことは一度もありませんでした。
毎回、私がぶっちぎりのトップで宿題を提出できたのです。

この、言ってみればウサギと亀の「はじめっから最後まで、ずっと徹底して亀作戦」は、現在の私の土台にもなっています。

起業して14年。
読書を一度も欠かしたことはありません。

税理士などの関係者へ提出する書類を遅延させたことは一度もありません。

コツコツ続けると決めたプロジェクトを、個人的なモチベーションなどを理由に断念したことは一度もありません。

もし、私のような普通の人間が、経営の世界で長く生き残れた事実が偶然ではないとすれば、それは「いつも亀が勝つ必然」に小さい頃に気づいたことが大きいのだと確信しています。

心理学との出会い

マーケティングと心理学は深い繋がりがある

私はコンサルタントとしても活動していますが、中でも得意領域としているのがマーケティングです。

マーケティングといってもまだまだ言葉の意味が広いのですが、私が特に得意としているのは、顧客心理を分析して顧客満足度売上を上げる手法です。

そう、私のバックボーンには心理学があります。

小学生まで順風満帆だった人生から、一変。
その偶然の出来事が、私を必然的に心理学へと導いてくれました。

中学生のある日

部屋の中が空っぽだった

私立中学校へと進学した私は、楽しい中学校生活をスタートしていました。

ちなみに、中学3年生の頃からの恋人と、そのまま交際を続けて結婚しました。

恋愛としては、回り道をせずに一直線に結婚へと向かって行ったのですが、私の人生そのものは、ここから大きく回り道をすることになります。

たしか、中学3年生のある日、家に帰るとその様子が普段と違っていました。

父の部屋が、文字通り空っぽになっていました。
そうです。父が出て行ってしまったのです。

これを受け入れるのは私にとっては簡単ではありませんでした。

それまでは順風満帆な人生で、自分は恵まれていて幸せなんだという自覚もありました。感謝もしていました。親のことを尊敬していました。

だから、まさか自分の親が離婚して、母子家庭になることなど想像もしていなかったのです。

私は、自分の中で何かが音を立てて崩れていくのを感じました。

まもなく、学校での生活が苦痛になりました。

人生の落差

色も味も感じない人生

学校でみんなが笑っているのが辛い。
自分だけが取り残されているような気がして、そこにいたくない。

私はある日、授業中に耐えきれなくなり、教室を出て保健室に駆け込みました。

何も話さず、全身に力が入ったまま、拳を握りしめて・・・、ただただ下を向いて動かない私を、保健室の先生はすぐに普通ではないと感じたようです。

副校長先生に連絡をしてくれたのか、副校長先生が保健室に入ってきて、私を誰もいない教室へ連れて行ってくれました。

『しばらく、ここにいて良いから』

そう言われて、私は、その教室に一人になりました。

ここからは本当に長かったです。
私は、みんながいる教室に行けないことが普通になり、次第に学校にも行けなくなりました。

自宅の自分の部屋か、あるいは誰もいない教室で過ごすことが大半になりました。

よく覚えているのですが、最終的には、全てが灰色に見えたり、食べてもあまり味を感じないという状態まで落ち込んでしまったのです。

激変した環境の中で

住む家も変わった

もちろん、住む家も変わりました。

豪華なマンションでの生活からの落差は、子供の私にとっては辛いものがありました。

初めて経験する、お金のない生活。
それでも、何とか子供を守るために働き始めた母。
何もできない自分。

出て行った父親のことも、何もできない自分のことも、誰のことも許せずに塞ぎ込む日々が続きました。

でも、実は今となっては、これも良い経験となりました。

私は、裕福な生活も、切り詰めなければ生きていけない生活も、両方知ることができたのです。

これは、ビジネスをする上では結構大切な感覚だと思います。

見栄や虚勢を張って、数年すると身を滅ぼす経営者はたくさんいます。

逆に、長く続く経営者って、思ったよりずっと質素だし、大人しいです。
身の程にあった判断ができるって言うのかな?

・・・ま、この辺は少し難しいというか、勢いが必要な時もあるし、イケイケで行かなきゃダメな時もあるから、難しいのですが、

ただ、やっぱり長く続く経営者って、引く時はしっかり引けるんですよね。

私は、こういう経験があったから、現在の経営スタイルもかなり安全運転だったりします。

  • 良いことがあれば、悪いこともあるぞ。

  • お金に永遠はないぞ。

  • 備えていて損はないぞ。

もともと、慎重な性格だった私が、この両親の離婚によるダメージを経験したことで、より「計画と備え」を大切にするようになっていきました。

心理カウンセラー

心理学との最初の出会い

なかなか学校に復帰できないまま、高校生になりました。

幸い、私は中高一貫の私立学校に入学していたので、高校受験の必要はありませんでした。

ちなみに学費は奨学金を受けて、大人になってからきちんと返しました。

ただ、なかなか学校に復帰できない日が相変わらず続いていました。
そんな私に、一本の電話がありました。

当時はもう携帯電話がありましたから、直接私に電話があったのです。

学校の先生からでした。

『カウンセラーと話をしてみない?』

というものでした。

今では一般的にも増えてきたと思いますが、私の通う学校にはスクールカウンセラーが勤務していました。

その存在は知っていましたが、まさか自分がそれを必要とする立場になるなんて・・・。

でも、なんでだか、少し興味を持って、話してみることにしました。

ここは正直に書きますと、スクールカウンセラーと話をしてすぐに解決できるほど私の心の傷は浅くはなかったです。

結果的に、スクールカウンセラーの紹介で、外部の心療内科などで別のカウンセラーとも話をしました。

たしか、合計3名とか4名くらいは心理カウンセラーの人と話をしたと思います。

心の傷は癒えませんでしたが、ふと「心理カウンセラー」とか「心理学」という世界に興味を持ちました。

これが私と心理学の、最初の出会いです。

臨床心理第一種指定校へ

心理学を学ぶ新たな生活

ただただ塞ぎ込む日々の中で、私は次第にあることを思い始めていました。

「この経験を、誰かのために活かせたらな。同じように悩んでいる人の、何か力になれたらな。そうすれば、これも意味があるのかもしれない。」

それが、心理カウンセラーという道なのではないか?と思うようになりました。

不思議です。人は目標ができると、少しずつ、少しずつ、自分を変えるために立ち上がろうとします。

少しずつ。少しずつ。

久しぶりに、クラスに行くようになりました。

そして私は、スクールカウンセラーの先生に相談して、心理学に強い大学をピックアップしてもらいました。

ただ、その頃の我が家は、お金が底をつこうとしていました。

奨学金を受けてギリギリ行けるのが、臨床心理第一種指定校の中でも夜学コースのある大学でした。

私は残された高校生活で必死に勉強し、なんとかその大学に合格しました。

ちょっと大袈裟に考えれば、私はいつも、こういうスタイルの生き方に導かれていたのかもしれません。

  • 同い年の子供が公園で遊ぶのを横目に、塾に通う日々。

  • みんなが過ごす教室とは別の、一人ぼっちの教室に通う生活。

  • 多くの大学生が帰る頃、その道を大学へと向かって通う夜間学生の生活。

でも、どれも私にとって、ちょっと誇らしく思う部分もあるんです。

こういう生き方をしてきた私にとって「みんなと違う」とか「変わっている」という言葉は、褒め言葉なんです。

良いじゃない、自分らしくて。

本当にそう思えるようになった私は、ようやく暗いトンネルから抜け出して、新たな一歩をスタートさせようとしていました。

この経験は、今の私の仕事にも生きています。

良いんです。みんなと違って。
そこに価値があるんです。

違うから、価値があるんだから。

コンサルをするときも、よくクライアントに伝えています。
「それ、すごいことなんですよ!そこに価値があるんです!それを活かしましょう!」ってね。

だからもし、『どうして、自分だけ・・・。』って悩んでいる人がいたら、私が伝えたい言葉はこれです。

その経験が、きっとあなたの価値を磨くことになります。
みんなが経験するわけじゃないことを、経験したのだから。
そこに目を向ければ、道もチャンスも、目の前にあります。

勤労学生

働きながら大学に通う日々

19歳になった私は、心理学を学ぶために大学に通う生活がスタートしていました。

ただ、限られた経済状況で通うしかなかったので、夜間コースでの通学です。そっちの方が学費が安かったので。

朝から夕方までは働き、そして日が沈んでから学校に行くという、普通の学生とはの生活をしていました。

ただ、この4年間は、人生で一番多くのことを学べた時間でもありました。

みんなとはちょっと違うこの日々が、私を起業の扉の前まで連れて行ってくれました。

夜間コースの生活

意外に楽しかった夜学

最初こそ不安だったのですが、夜間コースでの大学生活は想像以上に楽しかったです。

多くの場合、もう暗くなってから最初の授業が始まります。

ただ、高校生活の半分以上を、通常とは違う過ごし方をしてきた私にとって、あまりその生活リズムは気になりませんでした。

むしろ、夜学は私にとって良い環境でした。

夜学ってのは、どういう人が来ていると思いますか?

私のように、学費を抑える目的で選択している若者もいました。
ただ、すごく多かったパターンとしては、社会人の人が資格を取ったり学びを得たりするために、お仕事の後に通学されているパターンでした。

だから、同じ研究ゼミには、自分の親くらいの年齢の人もいました。

つまり、私の同級生は、当時で20代〜60代って感じなんです。笑

こういうのも、普通の大学生と違ってワクワクしました。

お名前は伏せますが、何名か有名な芸能人の方なども通われていて、同じ教室で授業を受けました。

夜学生としての私の生活は、本当に一般的な大学生の真逆でした。

朝は4時半に起きて、コーヒー屋さんにアルバイトに行きました。
そして昼過ぎ、あるいは夕方まで働きました。

夕方に、同世代の大学生たちがアルバイトで出勤してきます。
『おはようございます〜』なんて、その人たちが挨拶している時、私は「お疲れ様でした〜」って言って、退勤する。

そして、日が暮れた後に大学に行く。
こういう生活だったんです。

初めての接客

コーヒー屋さんでのアルバイト

高校生の最後の頃、一緒に勉強していた友だちと約束したんです。

「大学に受かったら、カフェの店員になろう」って。
結局、その友だちと一緒に働くことにはならなかったけど、私は初めての接客業にチャレンジしました。

塞ぎ込んでいた日々から、いきなりの接客業。
最初は緊張しました〜。

お客さん側としては当たり前だったことが、全然できない!

「いらっしゃいませ〜」という声を出すことが、あんなにぎこちなくなるなんて・・・。

レシートを渡す手が、あんなに震えるなんて・・・。

小学生の頃は、1,000人の保護者の前でスピーチをしても緊張しなかったのに、こんなに緊張している自分にかなりびっくりしました。

働くって、難しい・・・。

最初の何日かは、結構落ち込みましたね。

そう、働くって、大変なんだ。
どんなお仕事でも、みんな一生懸命やっているんだ。

でも・・・、働くって、超楽しい!!!

私はすぐに、そんな気持ちになりました。

少し作業に慣れてきたら、お客様のことを考えて、色々とチャレンジしてみました。

自分がやってみた工夫で、お客様が喜んでくれた時は、毎回本当に嬉しかった。

それに、一生懸命働くのは、本当に楽しかった。
コツコツ型の私にとって、それは人生の喜びと言って良いくらい楽しいものでした。

私は、働くことの楽しさ、お客様のために行動する大切さを学んでいきました。

心理学の世界

心理学は、完全なる科学

大学では、念願の心理学を学びました。

今では心理学って、一般的にも知られるようになってきましたが、当時はまだまだ間違ったイメージを持っている人も多かったです。

『心理学勉強しているんでしょ?催眠術とかできるの?』

みたいなことは、結構言われましたね。苦笑

ただ、実際の心理学というのは、学ぶと分かるのですが、立派な学問です。

志した私にとっては、そういう前提はある程度知っていたつもりでしたが、それでも実際に学び始めると、思っていたよりもガッチガチの学問であり科学でした。

心理学の中にも色々とあって、一概には言えないので難しいのですが、心理学の土台の一つには統計学があります。

仮説に対して、統計を取ったりして、研究していく・・・。
まぁ、こういうのが多いんですね。

だから、心理学の基礎レッスンでは、統計学のクラスがありました。

これ、実は今の仕事にも活きていまして、顧客心理を分析するときには決して感覚だけに頼らない。最初の仮説は感覚からヒントを得ることもあるけど、ちゃんと数字で検証する。

感覚、仮説、数値測定、分析、検証・・・。

これね、マーケティングをしたり、経営をしたりする上で、めっちゃ大切なんです。

コンサルをさせていただいていると、クライアントの経営の弱点をたくさん見つけることになります。

ある経営者は、感覚や情熱に頼りすぎていて、数値を疎かにしている。もちろん感覚や情熱は仕事に大切なのですが、数値を見ないと、経営としては大外れに「気づかない」ということがあるんです。

そして、めっちゃヤバくなってから気づく・・・。

またある経営者は、数値ばかりこだわっていて、感覚や情熱に意識を向けていない。だからお客様や関係者に恵まれなかったり、サービス面が弱かったりする。

そういう部分は、数値だけでは判明しづらいこともある・・・。

だから、心理学っていう、「心」や「感覚」や「人間の判断」などの形のないものに対して、仮説を立てて科学的に検証していく分野を学べたことは、すごく今の仕事に活きているんです。

大人の中で

職場も学校も大人だらけ

私の大学生活は、常に大人に囲まれていました。

朝から夕方までは、ほとんど毎日、熱心に働きました。
普通の大学生は、午前中から夕方くらいまでは学校にいます。
だから、私が働いている時間は、周りは大人だらけです。

正社員、準社員、フリーター、主婦・・・。

いろんな大人と話す機会に恵まれました。

さらに、接客業なので、お客様とも親しくなることもあり、やはり大人との繋がりができました。

大学に行っても、先ほど書いたように、夜学は学生も大人ばかりです

夜学の飲み会=普通の学生が言うオール=朝まで呑む
ってことになりがちなんですね。
だって、学校が終わって飲み始める時間が、もはや終電に近いので。

それで、たまに研究室のそうした飲み会があって、同級生の大人たちに、たくさん話を聞けました。

自分もその頃は20歳を超えていたけど、これから始まる大人の世界が、私にはなんだかワクワクする世界に見えました。

『学生が終わったら、もう遊べないよ。つまらないよ。』
って言う大人がたまにいるけど、私にはそれは違うように思えます。

実際、今でもそう思っているんだけど、私はこう考えているんです。

学生ってのは、お金を払って学んでいますよね。
でも、社会人ってのはお金をもらいながら学ぶことができます。

そりゃね、私だって今は36歳。家庭もある。子供たちもいる。会社も経営している。

だから、大変なことも多いってのは、めっちゃよく分かるんです。

でも、大人ってのは基本的に「自分の判断」だから。

どんな会社で働くかを決めるのも自分。
続けるのか、やめるのか。それも自分が決めている。

空いた時間に何をするのかも、自分次第。
この先に、どんなライフプランを描くのかも自分次第。

親に決められたレールを走って、ある日突然そのレールが破壊された私にとって、この大人の世界は、やっぱりワクワクするものだった。

起業という選択肢

個人経営のお店に出会った

熱心に働き、真面目に大学生をしていた私は、4年生になると少し余裕が出ました。

単位は揃っていたので、あとは論文を書くだけ。
アルバイトでは時給も上がり、少しだけ余裕が。

それで、21歳か22歳くらいの時、ちょっとバーに一人で行ってみたんです。

なんか、若気の至りで。
自分だけの場所が欲しくて。

それで一人でカウンターで飲んでいたら、バーテンダーさんと仲良くなりました。

何度か通っているうちに、そのバーテンダーはそのお店の経営者だということが分かりました。

今は、そのお店は法人化されているのですが、当時はまだ個人経営でした。

その方から人生で初めて聞いた言葉が。

『個人事業主』

何それ、かっこいい〜〜!!
って、何も知らなかった私は思いました。

その人は当時まだ20代。たしか、29歳とか、それくらいだったと思います。

すっげー!こんな世界があるんだ!って思いましたね。

この記事の一番最初の話に戻るけど、今振り返れば、それがピンと来たのは、多分自分の親戚がほとんど経営者だったからです。

でも、当時はその事実には気が付きませんでした。

「20代で起業・・・か。
 ちょっと・・・憧れるかも・・・。」

他にもいくつかきっかけはあったんだけど、こういう偶然から、私は必然的に経営の世界に興味を持つようになったのです。

23歳の決意

23歳の起業の決意

結論から言えば、私は23歳の時に起業を決意して、実行しました。

最初は、周りの多くの人に失笑されていました。

しかし、一年、また一年と、その小さな芽が育っていく度に、周りの目も変わっていきました。

だから、私は思うんです。

やりたいことがあれば、やれば良い。

自分の中で、確信があるのなら、進めば良い。私はそう思っています。

就職活動と自分の強み

良いことと悪いことは表裏一体

実を言うと、起業をする前に少しだけサラリーマン生活を経験しました。

21歳の頃かな?大学生活の後半に、就職活動を始めて、早々に決着しました。

ちょっと語弊があるかもしれませんが、就職活動氷河期と言われていた時に、大手企業をいくつか受けて、あっさり内定

これは、良い面悪い面が、両方あったように思います。

悪い面とは、あまり苦労せずに難なく就職活動をクリアしてしまったので、大変失礼な言い方ですが、思い入れや実感が湧かず、結果としてサラリーマン生活が長続きしなかったこと。

これについては反省する面も多く、後にその弁を記したいと思います。

良い面としては、「自分は、自分の強みや価値を表現して理解してもらうことが得意である」ということを、大手企業の面接を無傷で通過したことで再認識できたこと。

もともと、英才教育によってこういう類の能力は鍛えられており、小学校の生活でもそれは発揮されていたのは前述のとおりです。

ただ、その後に経験した、自分の殻に閉じこもる期間の中で、自分のそういう力を忘れかけていました。

久しぶりに、自分の得意なことを再認識した気がします。

これは良い面だったと思うし、今の仕事にも活きています。
現在はコンサルタントをしていますが、コンサルタントは、まさに伝える能力や理解していただく能力が必要ですからね。

サラリーマンへの尊敬

今でも、サラリーマンの方には心からの敬意があります

私が内定をいただいたのは、名前を聞けば皆さんが絶対にご存知の超大手企業です。

現在でもその会社は就活生からの人気が高く、その会社での勤務生活を短期間で終えてしまったのは、本当に反省するところが多いです。

第一に、経営者となった今だからこそ分かる、企業への無礼があります。

これはあくまで私の個人的な心のうちなので、実際にそれが企業への無礼かどうかは人によって捉え方の違いがあって当然だということは前提にさせてください。

ただ、せっかく面接やその後の研修などの機会をセッティングしていただいたにも関わらず、わずかな期間で辞職してしまったのは、やはり現在の私から見ると申し訳ない気持ちがあります。

経営者となった今では、企業側もそうした活動にどれくらいの準備とコストが必要であるのかを認識していますから。

第二に、現場の方にも申し訳ない気持ちがあります。

新入社員の私一人が抜けたところで、戦力面では大したダメージはなかったかもしれませんが、それでも色々と調整が必要だったはずです。

結果として、その現場やチームの方々にもご迷惑をおかけしたはずだし、お客様にもそうだったかもしれません。あるいは、これも現在の視点から考えると、本来であれば貢献できた未来のお客様などにもご迷惑をおかけしたのでは?という気持ちもあります。

第三に、サラリーマンとして勤続されている方々から、こうした判断は「ナメるな!」とお叱りを受けるようなことだと認識しています。

実際に当時、そのようなお叱りを受けたことも複数回ありました。

これらの点については、私は余計な言い訳をしないつもりでいます。

実は、この次のブロックを先に書くと、ちょっと言い訳っぽくなってしまうので、わざとこのブロックを先に持ってきました。

サラリーマンを短期間で辞めたこと。それについては言い訳はしません。

だからこそ、その時からずっと、サラリーマンの方へ非常に強いリスペクトを持っています。

私には全くできなかったことを、続けておられるのですから。

経営者や社長が偉い!というのは、私にとっては全く無意味な考え方です。

私たち、経営者というのは、働いてくれるスタッフや関係者がいなければ、何もできません。

現在の私が14年間、この経営の世界で生き残れたのは、それは周りが最高だからで、私一人の力など全く意味を成していません。一人だけならとっくに終わっています。私はそう思っています。

今でもたまに思います。

「もし、今の状態でサラリーマンに再チャレンジしたら、何か恩返しができるのだろうか」

もちろん、こんな思考に意味はないし、生産性もありません。
人生は一度だし、私はもう経営者としての生き方しか分かりません。

だからこそ、サラリーマンの方には心からのリスペクトと感謝を。

そして、社長だから偉いとか、経営者だから凄いなどということは一切なく、自分の仕事や役割をきちんと頑張っている人はみんなすごいんだと、心から思っています。

20代のうちに起業を

母を支えるには、起業しか無かった

このブロックを言い訳にしたくはなかったので、あくまでサラリーマン生活を短期間で終えてしまったことに対する思いは、先ほどの通りという前提です。

一方で、実は就職をする前から思っていたことがあります。

ここまでに書いたように、私は母子家庭。

大学を卒業し、大人になり、だんだんと私も、そして母も歳をとります。

さて、母の人生はどうなるんだろう?
私はそう思っていました。

考えるまでもありません。私が支えるしかないのです。

となると、母一人・・・。これは思ったよりも早く、経済的な余裕も必要になる可能性がありました。

父がいればまた別だったと思うのですが、母一人を残し、私は私で結婚したい相手がいたので、どのみち20代のうちに起業をしたいという思いがありました。

いえ、20代のうちに、起業するしか無いな・・・という感覚でした。

時を同じくして、前述したような「20代のうちから起業している人」にも出会えていたので、これが私の中で確信になっていったのです。

もちろん、もっと視野を広げてみれば、同じ状況でも起業以外の道もあります。実際に、サラリーマンをしながら、実家を支えている方々もおられるでしょう。

ただ、当時の私には、そう思えていたというだけの話です。

やはりこれは、当時は意識していなかったけど、親戚がほとんど経営者だったから、という影響を受けているのだと思います。

だから、経営というものに可能性を感じたというか、イメージがしやすかったのだと思います。

母の内職

アフィリエイトの仕組み

私が中学生の時に父が出ていき、そこから母はとにかく働いてお金を稼いでくれました。

昼間はパートに出かけ、夜は家で内職をしていました。

その内職というのは、いくつかあったのですが、そのうちの一つにアフィリエイトというビジネスがありました。

現在では知られたインターネットの広告業ですが、当時はまだまだ新しくて、ちょっとアングラなイメージ(誤解)もありました。

アフィリエイトというビジネスは、きちんと説明をすると、インターネット上で行う広告代理業です。

様々な企業がASPというサービスに広告依頼を出しています。
それを代理店はASP経由で案件のルールを確認した上で、インターネット上で広告を行います。この代理店のことをアフィリエイターと言います。

ASPに登録されている企業の広告は、ホームページやLPなどのwebサイトへのリンクになっています。そのリンクをアフィリエイターがインターネット上で広告宣伝をしてアクセスを集めます。リンクは各アフィリエイターごとに発行されるため、どのアフィリエイターが売ったのかを判別できる仕組みです。

実際に、自分のアフィリエイトリンク(広告リンク)から商品が売れた場合、その企業がASP経由で取り決めている条件に従って、アフィリエイターに広告報酬が発生し、ASP経由で支払いが行われます。

これがアフィリエイトの仕組みです。

アフィリエイト=怪しいというイメージを持っている人も一定数います。

これについては、半分は正解であり、半分は誤解です。

アフィリエイトだけでなく、どの業界にも、ルールを無視した活動をする方々が残念ながらおられますよね。

アフィリエイトも同じで、怪しい人や嘘の情報を書くような人もいるのは事実です。ただ、この分野はかなり経験があるのでお伝えすると、やっぱりそういう人たちは生き残っていません。

後で大問題になったり、規制が入ったりして、大ダメージを受けて消えます。

逆に、ちゃんと健全にやっているところは、普通に生き残っています。
後でも書きますが、うちの会社もアフィリエイトから始めて、現在はサブ事業になりましたが普通に報酬がありますし。

まぁ、とにかく・・・。

そんなアフィリエイトを、母が内職としてやっていたんです。
もう今から15年以上前に。

実は、ここまでの3つのトリガーが、私に起業の扉を開けさせました。

  1. サラリーマン生活が続かなかったこと

  2. 元々20代で起業するつもりだったこと

  3. 母がアフィリエイトを内職でやっていたこと

反対意見との向き合い方

意見は聞く。でも、最後は自分を信じよう。

「インターネット分野で起業する」
と言った時、周りのたくさんの人が止めてくれました。

時代が今ならきっと、そんなことはないのかもしれません。
仕事でインターネットを使うなど、当たり前の話になったし、テレワークスタイルも普通になりました。

でもこれは、それよりもずーっと前の話・・・。

それに、私はパソコンの再起動の仕方さえ知らなかったような人間です。

大学の友人は大笑いしていましたね。

『は?何言ってんの?良いよ、そういう冗談は。』ってね。

まぁ、無理もないです。
大学のレポートを、私はひたすら手書きで仕上げていましたから。パソコンルームの中で。苦笑

あとは、そういうスキル面以外にも、起業のリスクについて色々と指摘してくださるご意見もありました。

それで、今思うのは一つですね。

意見は聞こう。でも、最後は自分が決めよう。

当時の私が、ちょっと強引だったのは、そういう反対意見には耳を貸さなかったこと。全く受け付けませんでした。

でもこれは、今でも100%悪いとは思っていません。

何の根拠もなく『やめておけ』と否定だけをするご意見は、何かに挑戦する者にとっては意味を持っていません。聞かなくて良いでしょう。

ただ、その中にも、一理ある意見も存在します。

それらを受け止めて、それでも自分がその道を進みたいのか、しっかりと考えるべきです。

もし、その上で、本当にその道を行きたいのなら、もう迷うことはありません。『やめておけ』という意見を後方に、その道を進めば良いでしょう。

人生は一度だけ。
あなたの人生は、あなたのものです。
私の人生も、私のものです。

何かを始める時、自分の責任において、自分で始めれば問題ないのです。
何かを続ける時、自分の責任において、自分で続ければ問題ないのです。
何かをやめる時、それは他人のせいではなく、自分の責任なのです。

その責任を持って、その道を行く自由を選ぶのなら、私は心からこう言うことにしています。

「おめでとうございます」

起業を志したとき、たくさんの人が止めてくれました。

でも、経営者、特に創業者にとっては、それは祝うことであり、めでたいことです。

海への航海を決めた者に対して、すでに海を旅している先人たちは『お前もか!おめでとう。頑張ろうな。』と言ってくれるでしょう。

私にとってその道は、行くしかなかった道でもある。
私にとってその道は、実は必然的に導かれた道でもある。
私にとってその道は、夢と憧れで輝いていた道でもある。

さて、ここからは、実際にゼロから起業して現在に至るまでの14年間の舞台裏とストーリーを綴ります。

ビジネスの考え方、マーケティングの本質、webの世界の基礎知識などが分かる構成になっています。

それに、何かに挑戦する人への後押しになるメッセージを最後にはまとめます。

もし、人生に悩んでいたりチャレンジに挫折しそうだったり、あるいは経営に行き詰まっている人にとって、何かのきっかけになれば幸いです。

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