SDカードとUSBとパソコン

2021年、一番壊れたら困るものはこの3つだった。この1年の大半は卒論と動画編集に費やした。幸いデータが破損することなどは無く、平和に過ごすことができた。

編集というとメインはマロンちゃんねるで、その他は所属するサークルである東京大学服飾団体Miss Catwalkやごくたまにしか更新しないためほとんどなかったことになっている個人のYouTubeチャンネルの動画を編集している。

初めて多くの人に向けて公開する動画を編集したのは2020年春のことなので、かなり昔のことのように思う。私はこう見えてYouTube狂だ。チャンネル登録しているチャンネルの数は360を超え、家にいる時間は大抵YouTubeで何かが流れている。

そんな人間の考えることは1つ、「YouTubeをやってみたい」である。そんな風に考えていたのは高校生の頃のことである。ただ1つ問題があった。それは私が映像の被写体として表現する勉強をしてこなかったことである。

私は3歳から12歳まではピアノを、中学1年生から高校2年生までは演劇部でお芝居やその裏方の仕事を学んだ。ヒップホップとジャズをダンススクールに通って勉強したこともあった。どれもお客様を前にして生の空気を感じながら作っていくものなのだ。表現することは好きだけれど、映像となると自分の活かし方がよく分からなかった。

なぜ私にとって映像というコンテンツが難しいのか。これは漠然とYouTubeに憧れていた私のテーマになった。この疑問はある日突然解決する。2019年、大学2年生の冬に受けたある講義だ。

この講義の教授はとても変わり者で、奥深い授業をする人だった。前の年に同じ先生の別の講義を受け、良い成績が取れなかったことが悔しくてわざわざこの講義を受けていた私は1番前の席で必死になって毎週議論に参加していた。

講義の全体像はその日のテーマになった映像作品から、そのメッセージの核は何かについて議論するというものだ。その日のテーマは小津安二郎監督の「東京物語」だった。

私が演劇部出身だと知っていた教授は私に「あなたはどう思いますか?」と聞いた。ここで人生で初めて演劇と映画はなにが違うのか、考えることになる。瞬時に導き出した答えは演劇は流れ、映画は切り貼りということだ。

よくよく考えれば、演劇にだって場面転換はあるし、映画にだって「カメラを止めるな!」のようなワンカット撮影のものもある。考察が甘いとは思うが、当時の私の疑問を吹き飛ばすには十分だった。

演劇ではお客さんの視線を故意に誘導する演出や演技プランを考えることがある。自由に受け手の視野を広めたり狭めたりすることができる映像とは対照的に、演劇ではお客さんとステージの位置関係は変わらず、常に舞台全体が見られているからである。

まあ映像表現が苦手なことについては、慣れの問題もあったのかもしれないけれど、今までやってきたことと似ているようで実は全く違うものなんだと気がついたことで納得がいった。

紆余曲折あり、2020年からはサークルなどで細々と動画編集を始めることになる。演劇では常に考えていた全体のバランスを見て、作品を作っていくという行為を被写体として活かすには私自身の演者としてのスキルが足りなかったが、動画編集には大いに役立ったのだ。

そして今年2021年はマロンちゃんねるの編集を始めることになった。実はマロンちゃんねるの動画の一部は私の編集ではないということにどれだけの人が気付いているのか分からないが、まあ9割は私なので勘違いするのも分かる。私が編集した動画にある共通点に気づいた方はコメントなどどうぞ。

なにはともあれ、私が面白いと思って作った動画を同じように面白いと感じてくださる方がいるのは本当にありがたいことです。来年は個人的に今とは環境が変わりますが、マロンちゃんねるの編集者としては変わらず楽しい動画を作りたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。



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