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生きたいように生きてみよう

どんな生き方が理想?
どんな生活が理想?
そう聞かれたら、なんて答える?

たった一度きりの人生なんだから
そんな言葉を誰しも一回は聞いたこと、
言われたことがあるんじゃないだろうか。

けれど、どれだけの人が
自分の生きたいように生きている?
この日本で。

みんな、そこそこは
生きたいように生きているかもしれない。
けれど、自分の望む100%ではないんじゃないだろうか。
かくゆう、わたしだってそうだ。
自分の生きたいように生きたいと思っているけれど、
それが100%叶っているかといったら
頭を縦には振れない自分がいる。

小さいころから
「自分らしく生きたい」
そうずっと思ってきた。
「ありのままのわたしを認めてほしい」
そう思っていた。
周りと同じようにしているつもり。
みんなと何が違うのか、
わたしにはわからなかった。

「〇〇しなさい」
「みんなもこうしてるでしょ」
そんなことを言われるたびに、
「わたしという人間はどこにいるんだろう」
そう思ってきた。
まるで透明人間にでもなったみたいに、
自分という存在があやふやになった。
いっそのこと透明人間になってしまいたいと、
そう思ってもいた。

わたしは、わたしの人生を生きたい
自分らしく輝いて生きていきたい

ずっと、ずっと、そう思ってきた。
そのために模索してきた。
誰かと一緒なんて、
そんな人生、望んでいなかった。
けれど、いつだって外側に答えを求めていた。
どこかに「自分らしく輝いて生きる」ための答えがあると、
そう思っていた。

自分の生きたいように生きるための答えが、
自分の外側にあるのなら、
探し求める意味もある。
けれど、
核となる部分は絶対に内側にしかない。
外側に探しにいくのは「手段」だけだ。

投資も起業も、
生きたいように生きるための手段でしかない。
そんなことを最近になって、
ようやくわかってきた気がする。
手段であるからこそ、
その手段に固執する必要なんてまったくない。

わたしは生きたいように生きるために、
会社を辞めた。
(まあ強制終了が掛かったというのもあるけれど…)
そして、生きたいように生きるために、
投資を始めた。

一つの場所に縛られる必要なんてない。
人の目を気にすること、
人の気持ちを優先して自分の言動を選ぶこと、
昔からやってきたことって癖になっている。
だからこそ、そこから抜けるのは難しい。
けれど、生きたいように生きる権利は、
きっと誰もが持っている。

少し、ほんの少しでも立ち止まって
考えてみない?
自分の望む生き方ってなんだろう?
そんなことを。

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