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どんなキャラクターを演じているのか

人は、誰もがキャラクターを演じている。
それが意識的にしろ無意識にしろ。
では、どんなキャラクターを演じているのか?
それは周りに聞いてみるといい。
もし聞けない、聞きたくない場合は、
周りを見渡してみたらいい。

わたしは演じてなんかいない。
もしかしたら、そう思う人もいるかもしれない。
これが素だ、と。
果たして、ほんとうにそうなのだろうか。

親の前にいる自分と、
気心の知れた友人のなかにいる自分は同じだろうか?
職場の自分と、
恋人の前にいる自分は同じだろうか?

知らず知らずのうちに、
わたしたち人間というのは
求められたキャラクターを演じているのだ。

たとえば親の口から聞いたことはないだろうか。
「うちの子は〇〇な性格で」
「この子は引っ込み思案だから」
「誰とでも仲良くなれる性格なんです」
そんな言葉たちを。

場所を変えてみよう。
学校や職場ではどうだろうか?
家とでは声も少し変わるのではないだろうか。

恋人の前では?
人によっては甘えたりするだろう。
親や友達の前では出さない声を出したり
話し方になるのではないだろうか。

つまり、その時々で違うキャラクターを演じているのだ。

「よそゆき」という言葉があるように、
キャラクターの違う自分が、
自分のなかに存在している。
そして、それを誰が決めているのかといったら、
親や友達、周りの人だと思う。
自分が「わたしはこういう人間です」と自覚する前から、
すでにそのキャラクターになるような言葉を浴びているのだ。
そして、その通りをわたしたちは演じている。
無意識だとしても。

では、そんなキャラクターを演じることに疲れたら?

そうしたら、その場を離れたらいい。
もしくは違うキャラクターを意図的に作って演じたらいい。
誰も自分を知らない環境に行けば、
自分の望むキャラクターを演じることが可能だ。
洋服を変えることでキャラクターを変えることも可能だと思う。
新しいキャラクターを受け入れてもらえなければ、
受け入れてくれるところへ行けばいいだけだ。

いま、どんなキャラクターを演じているのか。
そんな自分を少し俯瞰して見てみよう。

わたしたち人間というのは、
初対面だったとしても、
雰囲気や声、身なりから
勝手に目の前の相手をこんな人だろうと決めつける。
SNSであってもそうだ。
文章や写真から、こんな人なんだろうと予測を立てる。
そしてそれを感じ取ると、
無意識にそのキャラクターを演じてしまうのだ。

自分が演じているそのキャラクターは
自分が望んでいるものですか?
もし違うなら、どんなキャラクターが理想なのか考えてみよう。

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