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漫画「君と宇宙を歩くために」が心に刺さった棘を刺激してくる

マンガ大賞受賞作とあって、本屋に行けばどこにいっても面陳and面陳の作品です。結論、良すぎるので絶対読んでほしい。

何をやっても続かないヤンキーの小林と、少し変わった転校生の宇野。友達になりそうにない二人が仲良くなって、生きづらさをがんばって少しずつどうにかしていく。そんな話。

彼らのやっていることは丸めてしまえば「生きづらさをどうにかする」とか「社会に適応していく」ことなんだけど、こういう表現だとややもすると自己啓発っぽく聞こえてしまう気がして。
そういうタッチで描かれてる物語ではないんです。やっぱり「宇宙を歩く話」なんだ、そうとしか言えないんだって言いたい。

どう考えても友達になりそうにない二人には共通点があります。
社会が求める「普通」ができないのです。

小林はアルバイトも勉強も続かない。なぜ「続かない」のか?
みんなが簡単そうにこなすことを同じようにできないという悩みを抱えているんだけど、リアルな描写に胸が痛くなる。

「君と宇宙を歩くために」-泥ノ田犬彦/第1話より(&Sofa)

人と違う、自分だけができないと感じることはつらい。
恥ずかしいし、その場にいることもつらくなる。
もちろん恥ずかしいと感じていることは悟られたくないから、少しも傷ついていないふりをする。
自分の気持ちも知らず「当たり前」を押し付けてくる奴らが腹立たしい。

そういう感情って確かに自分の中にもあった。
相手の気持ちになって考えるとか、言わなくていいことは言わないとか、どんな状況・人間・関係性でも礼節を欠くことは許されないこととか、拒否や反対意見が人格否定ではないこととか。

社会性なさすぎて書いてて自分でもダメージ食らうんですが、感情的で客観視ができず、そういう「普通の社会性」が19歳くらいまでうまくできなかった私は、小林のトゲトゲぶりを見ていると10代の自分を思い出して苦しくなってしまう。

宇野もまた「普通」ができない。名前を知らない人とは会話ができないし、焦るとパニックになってしまう。
だから、世の中に適応するために自分専用のマニュアルを書いたノートを持ち歩いている。
自己分析してこれだけのことやってる時点で、偉すぎ。

「君と宇宙を歩くために」-泥ノ田犬彦/第1話より(&Sofa)

また胸が抉られるのが、宇野が同級生に揶揄われてノートを取り上げられたあと家に帰って泣くシーン。
ノートには「悔しくても泣くのは帰ってからにする」と書いてある。こっちが泣くわ。「悔しくても泣くのは帰ってから」って思いながら帰ったこと、誰だって一度はあるよね。泣
頑張っていてもこんな目に遭う。「普通」でないことはこんなにも苦しい。

宇野は社会が求めることに適応できていないときの心細さ、心許なさを「宇宙」にたとえる。

わからないことがある時は 一人で宇宙に浮いているみたいです
聞いても教えてもらえない時もあります
上手にまっすぐ歩けない
それを笑われたり 怒られたりすると 怖くて恥ずかしい気持ちになります

「君と宇宙を歩くために」-泥ノ田犬彦/第1話より(&Sofa)

「怖くて恥ずかしい気持ち」を認めることって難しい。特に10代。小林タイプの私にしてみれば、この素直さがもっと早くにあれば……と思う。
でも宇野は素直なうえに頑張り屋さんで前向きで。

「君と宇宙を歩くために」-泥ノ田犬彦/第1話より(&Sofa)

それでもこの「宇宙」を歩くために「テザー」を作った。
「テザー」とは、宇宙飛行士が宇宙空間で活動するときに使用する命綱のこと。日常のマニュアルを記したノートは、この世界を生きるための宇野の命綱なんです。

マイペースだけど、自分と向き合って、この世界と折り合いをつけていくために努力する宇野。小林はそんな宇野をかっこいいと思い(わかる)、「できない自分」と向き合うようになっていく。

できない自分と向き合うことで、周りの人も応えてくれるんですよね。感情をぶつけるだけでは本心はわからないから、やっぱり言葉にしないといけない。
それに「普通じゃない」側の人が抱える生きづらさの一部は、みんな少しずつ持っていたり、また違うことで悩んでいたりもします。周りの人達のあたたかさも見えてきて、愛おしいじゃんみんな……となる。

そういう話なので、一言でいってしまえば「社会に適応していく」なんだけど、そんな無味無臭の言葉ではなく、やっぱり「宇宙を歩くためにふたりが頑張る」話って言いたいなぁと思います。

ちなみに巻末の作者コメントで「テーマの一部を言語化せずにストーリーを進めている」と書かれていて。
奥田英朗がどこかで審査員をやったときのコメントで「テーマを書くな、ディティールを書け」というようなことを言っていたのを思い出しました。
それからテーマを明言せずに読ませる、考えさせる物語に出会うと、これが奥田英朗が言ってたアレか〜!!と思うようになりました。

この作品で描かれている「ディティール」の一つが「平成」だと思うんですが、何年くらいなんだろうって気になっちゃう。ガラケー使ってたり、「水金地火木土天海」とかね。

冥王星って2006年に太陽系からリストラされたんですよね。なので少なくともこの物語の舞台は2006年以降と思われる。
カラオケで睡蓮花らしき曲を歌っている場面も。睡蓮花は2007年発売。
そんで大流行したiPhone3Gは2008年発売。
みんなガラケーを持ってることから2007年が舞台なのかなと(高校生はiPhone買わない説もあるか……?)

ちょうど同世代くらいなのもあり、時代背景を感じる描写も楽しみな作品です。ぜひ!

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