やはりアクション、アクションはすべてを解決する(忍たま映画感想)
夕方、話題の『劇場版 忍たま乱太郎 ドクタケ忍者隊最強の軍師』を観てきた。
90分だから時間の都合がつけやすかったのもあるけど、観てよかった。「頼りになる味方が予期せぬ事情で敵になったら?」という王道のプロットを脚本で丁寧に構成していた。声優さんの演技力や絵のすばらしさももちろんあるんだろうけど、個人的にはアクションが全体の説得力をかさ上げしている…!と思った。今ちょっとその話をしたい。
セリフではなく動作で語られるあれこれ
タイトルで言った「アクション」は、戦闘の振り付け(コレオグラフ)やアクションシーンに限らない広い意味での「動作」を指す。登場人物たちが自分の立ち位置・出自や性格や思惑、相手がいる場合はその関係性などをセリフで説明するのではなく、行動を通じて観客に伝えているという意味での、画面上でのあらゆる動作。
ネタバレというかいいシーンを雑に切り抜いてしまうので、未視聴の人はここで戻ってほしいけど、中盤「きり丸が汚れた足に草履を結ぶ」というシーン。これは、「土井先生を探すために何度も奔走しているきり丸」を描いた動作だ。彼が直接「土井先生が心配だよお」というセリフはない。でも、この動作と表情ですべて伝わる。こうして書いちゃうと陳腐だけど、画面ではほんと、よかったんですよ…
もう一例あげるならやはり天鬼の、あの懐中の書物でやる武器さばきが一発で彼の正体を見るものたちに伝えていますよね。
もちろん狭い意味でのアクションシーンもすごく良かったし、たぶん戦い方にも登場人物・敵味方の個性がめっちゃ出てるんだろうな~!と思わされたが(前半の六年生VS天鬼の戦闘シーンが大好き)、趣旨とズレるのではぶきます。じつは子ども時代以来ひさびさに見たので上級生の特徴よくわかってないのもあるし。
(5・6年生ミリしらでした)
キャラクターの動作が物語を支える
動作はセリフと違って「見れば分かる」けど「解釈の余地がある」ものでもある。だから動きにまつわる描写は、セリフより観客の想像力を強く刺激し、感情移入を深める力がある。
一方でセリフは受け取る人に強いインパクトを残す。だから読者に覚えておいてほしい情報、ストーリーの根幹にかかわる部分、感情に刺さる一言はどうしてもセリフが必要になる。役割が違うのだ。
趣味で創作しているだけの人間の私見だけど、小説であれ漫画であれ「どうしてもセリフでなければいけない情報」以外のあらゆる情報や情緒は動作によって積み重ねられなければいけない。その地道なはたらきによってのみ、受け取り手は単に物語を「伝えられた」のではなく「自分で体験した」と感じることができるのではないか。
まあ、そこがめっちゃ難しいんだけど。
だからセリフで語るな動作で語れ
言いたいことをまとめると、創作において「動作を通じて物語を語る」という手法の重要性だ。セリフでキャラクター/状況/心情/葛藤……を説明するのではなく、行動(やる・やらない・選択する・身振り・表情……)を見せることで、読者や観客はその情報を能動的に受け取ったように感じられる。結果、より物語を自分のものとして親しみ深く感じることができる。思ったよりまとまってないし、なんかヘタクソですが、伝わるでしょうか?(←じゃあ動作で語れ)(ムリ)
映画鑑賞時のメモみたいなものですが、自分が創作するときの役に立ちそうなので記事にしてみました。以上です!
追記:
映画中、いわゆる動作がいちばんかわいかったのは雑渡昆奈門先生だったと思います
こんないい感じの火傷男子がいるなら教えておいてほしかったよ BY西
これ見てから観ればよかった