誰かと話すということ
自分が大事だと思うことについて,友人と本気で議論,できるだろうか.友人とは言え問題意識を共有していないことが殆どであり,そういう場合には一方的な一人語りになってしまう.問題意識を共有していて,かつ,同じ意見の人とは,話はできるけれど,傷の舐め合いのようになってしまう.違う意見の人と,前向きに批判し合うということの難しさ.匿名で裏で悪口は言えるけれど,それは双方向のコミュニケーションにはなりづらい.
自分のやっていることについては誰でも自分の責任の範疇で語れる.昨日自分が起きてから何をしたか,なんて,誰にも何も言われる筋合いはない.でもそこから一歩出て,違う意見の人がいるかもしれないことを言う時,批判に晒されるのは怖い.自分も勿論,記名で何かを議論するなんて,自分の知見の狭さを晒すだけのようで,とても怖い.でも,なんだか物足りない.そういう内輪なあり方は,風通しを悪くするだけなんじゃないだろうか.
もっとちゃんと話すだけの足場を持たなくてはいけない気がする.建設的な批判の在り方の模索.
そして,そんな大上段に構えるよりも,何気ない日々の感想,みたいなことの方が,すっと伝わっちゃったりも,するんだよなあ.