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大阪 長居 直観的ヒーリング Freude Infinity∞ 戸田好子です

親切というか 構いすぎというか…
人に思い入れが強い人って 自分は親切だと思っている言動行動が 相手には No Thank youと思われているかもしれない

所謂「良かれと思って」

シータヒーリングⓇの師匠がステージ4のすい臓がんと発覚したとき 師匠の許可を取って毎日21時に仲間でヒーリングをおくることにした

今思うと「治って‼️」という思いが強くヒーリングに出ていて みとどけるヒーリングではなかった

後 闘病という意識があり 病気を敵とみなす方法で 病気を受け入れることをしなかった

結果 闘うのだから 人が勝てば治るけど 病気が勝てば死をむかえる

師匠は死をむかえて旅立った

そこで 病のヒーリングは その方やペットの最高最善を願い 純粋な無条件の愛と光をおくるようになった

生き物は生まれたら死にむかう いつか死をむかえる

死をむかえることが最高最善かもしれないし 生きることが最高最善かもしれない

そこは自分のエゴで治って‼️と強くおくるのは違うなと師匠の死で学んだ

ヒーリングだけでなく実生活でもそう

心配のエネルギーほど 有難迷惑なエネルギーは無い

仕事でお子さんのご相談を受ける時にいつも言うのが「親御さんがお子さんの心配するのは当たり前ですが 心配って呪いに等しいんですよ 心配より信頼のエネルギーがお子さんの後押しになります」

これはすべての人間関係に通ずる

構いすぎるのもその人を信頼していないか…悪くいえば 親切にする自分に酔っているか

逆ヘルプマークじゃ無いけど 「何かお手伝いすることありますか❓」のスタンスでいいと思う

親子関係 友人関係でも共通するのは構いすぎない
相手を信頼し「困った時には言うて(連絡)ちょうだい」でいいと思う

ましてや 相手がいいと言ってるのは 遠慮じゃなく ひとりでしたいのかもしれない

他者がそこまで奪う権利は無い

ヒーリングもそうだけど 親切も独りよがりの押し付けになっていないか

わたしは相手を心配でなく信頼するから 静観する姿勢をとることが多くなった

やりすぎは禁物であるとつくづく思うのであった

最後までお付き合いいただき ありがとう🙏ございます😊💕
Love∞♡

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